A・ハーツフェルドが語る「Macの誕生と、その他の物語」(後編) - (page 3)

Scott Ard(CNET News.com)2005年04月08日 10時00分

--Macに話を戻しましょう。当時をしのぶお宝があれば教えてください。

 プロトタイプのワイヤラップ・ボードです。私はMac史上3つ目のワイヤラップ・ボードを持っています。この種のボードを見たことのある人なら、私がこれを自慢する理由が分かるでしょう。ボードをひっくり返すと、ピンの周囲に無数のワイヤがぐるぐると巻き付けられています。これはMacの3つ目のプロトタイプでした。私は2枚持っていましたが、1枚はComputer Museumに寄贈しました。Burrellも1枚持っています。このほかに2枚あります。

 Bill Gatesからの手紙も自慢の一品です。Folkloreサイトに本物を掲示していますが、本に載せるといったら断られるでしょうね・・・私が作ったSwitcherプログラムに関する手紙です。本には私がこのプログラムの売却をSteve JobsとBill Gatesに別々に持ちかけたときの話が載っています。このエピソードを書くときは、2人の世界観の違いを浮き彫りにするように努めました。Switcherを安価に手に入れるために、Bill Gatesはきわめて論理的で分析的なアプローチを用いました。これと対照的に、Steve Jobsのアプローチはきわめて直感的なものでした。私に購入価格を提示すると、その理由も説明せず、「これが適正価格だ」といい切ったのです。

--今後の予定は。

 この本が売れたら、前後の時期の話を続編のような形で書こうと思っています。ほとんどのエピソードは、Steve Wozniakを主役としたものになるでしょう。この時期の秘蔵エピソードはまだまだありますよ。

--Steve Wozniakに関するエピソードを何か教えてください。

 この本の続きで、ちょっとした小話があります。Steve Jobsが障害者用駐車スペースに駐車したときの話です--彼は常習犯でした。1983年10月のある日、私がオフィスで仕事をしていると、机の電話が鳴りました。クパチーノ警察からです。「ご通報いただいた違法駐車の件ですが、障害者用駐車スペースの表示が正しくないので、違反車輌を撤去することができませんでした」。何の話ですか、と私は聞き返しました。

 後で分かったことによると、クパチーノ警察にSteveの車を通報したのはWoz(Steve Wozniak)でした。ところが、彼は自分がAndy Hertzfeldだと名乗り、私の電話番号を告げていた--私とSteve Jobsにいたずらを仕掛ける気だったのです。途中でばれたのは幸いでした。Steveが車を確認しに行き、通報者が私だと知ったら、私は大変な目に遭っていたことでしょう。

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