--Bill AtkinsonやBurrell Smithの反応はいかがでしたか。本が出てから、Burrellと話をする機会はありましたか。
Burrellには1冊プレゼントしましたが、話はしていません。彼は最近、隠遁生活を送っているので、なかなか捕まえられないのです。本は家の戸口に置いてきただけなので、彼がどう思っているのかは分かりません。少し心配でもあります。私はBurrellをとても尊敬しているし、彼が本の内容に異論を持っているとも思いませんが、彼は人目に触れるのをひどく嫌がっているので、自分の顔写真が載った本が出回ることを、もしかしたら不愉快に思っているかもしれません。
Billは執筆に全面的に協力してくれました。彼とは親しく、折に触れて会っています・・・でも、寄稿してもらうことはできませんでした。彼は文章を書くのが好きではないのです。彼が夢中なのは写真--言葉より、視覚的な表現が好きなんです。でも、彼とは細かい部分について何十時間も話し、一緒に見直しもしました。
--Jef Raskinの反応はいかがでしたか。
Jef Raskinは本の内容に異議を唱えた唯一の人物でした。私が本を書くと知ったときも難色を示していましたが、今も不満に思っているでしょうね。
Jefは一部の重要なコンセプトを考えたのは自分だと主張していますが、他の人はそう思っていません。そもそも、Macの開発期間と彼の在籍期間はほとんど重なっていない。彼は私がMacチームに配属される前日にAppleを去っています(1981年)。Jefは大変優秀な男ですし、Macintoshの原型となるビジョンを持ち、プロジェクトを立ち上げ、小さいけれどもすばらしいチームを作り上げたという点では大きな賞賛に値します。しかし、彼はチームと対立し、Appleを去っていきました。
JefはMacintoshに関するさまざまなアイディアを持っていましたが、そうしたアイディアは実際のMacには反映されませんでした。ちなみに、Jefは早い段階でAppleを離れたので、1985年には自分のアイディアを完全に体現したコンピュータを設計し、ライセンスしています・・・Canon Catがそれです。
--では、あなたがMacintoshの父と呼ぶのは誰ですか。
私の意見ではSteve Jobsです。次がBurrell Smith。3人目を挙げるなら、Bill Atkinsonでしょう。
--MacのエンジニアはすべてをXeroxのパロアルト研究所(PARC)から盗んだという批判もあります。
見当違いの批判というほかありません。ごく広い意味でいえば、Xeroxからインスピレーションを得たということはあるかもしれません。しかし、実際にコードを盗んだわけではない。1行たりとも盗んではいません。
--Xerox出身のエンジニアが多かったのは事実ではありませんか。
Macチームにはひとりです。Lisaチームにはもっといました。4、5人でしょうか。PARC出身者の多くは、Macの発売後に入社した人々です。ビジョナリーであり、パロアルト研究所の中心人物だったAlan KayがAppleにやって来たのは、ちょうど私が退社する1984年3月のことでした。Alanの後を追うように、パロアルト研究所から10人ほど移って来ました。
--彼らはAppleの何に惹かれたのでしょうか。技術を製品化する力ですか。
その通りです。PARCにいたのは、われわれとは違う種類の人々でした。学究肌の学者タイプ--自分たちの研究が実際に使われるかどうかには興味はなく、新しいアイディアを考えていられればよいという人々です。彼らはそれで満足していましたが、世の中に影響を与えたい、人々の生活をよりよいものにしたいと考えていた技術者は、大きな不満を抱えていました--具体的なものは何も生まれなかったからです。そんなときに、Appleが自分たちの理想をすべて体現した製品を、若者でも手の届く価格で売り出したのですから、引きつけられないはずがありません。彼らは世界を変えたいと願って、Appleにやって来ました。
(中編に続く)
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