コンテンツ国家戦略にも優先順位を - (page 3)

なすべきことは優先順位付け

 このように政策サイドがいかなる努力をしようとも民間が動かないという、「笛吹けど踊らず」という状況になることは決して珍しくない。しかし、失われた10年間を通じて、土木や建設などのドメスティックな産業であってもそのあり方を変えてきたのではないだろうか。

 「変わらないもの」の最後の砦として、コンテンツ産業、そしてその流通を担うメディア産業があるというのがさめた見方であろう。そのために、ライブドア VS ニッポン放送/フジテレビといったTOB(株式公開買付)騒ぎが生じてくるのではないか。

 とはいえ、全ての原因を民間、具体的にはコンテンツやメディア産業にばかりを押し付けるわけにはいかない。というのも、いろいろと政策サイドがこれら産業に対してとってきた様々な施策が必ずしも適切なものではなかったかもしれないからだ。

 コンテンツ産業の活性化に関する話題において、政府はアニメやマンガ、ゲームなどの産業の国際的優位性ばかりを取り上げておきながら、その産業としての構造的脆弱性とそれを是認する「動機」や「意思」の不在についてはなんら指摘することなく、その疲弊を促進させてきたのではないかという指摘もできるだろう。そして、持ち上げるだけ持ち上げておきながら、国家競争力強化という重要な政策フェーズ策定においては、悪しき平等精神からどこにもメリハリがつかないひらべったい八方美人的な対応がなされることが多い。

 内部関係者と話したところによると、まずそのような問題意識に反対する組織や団体を抑えて表に出すことを優先すべきであるから、あえて「過激さを抑えた」表現にする必要があるのだという。それは一種官僚としてのタクティクスとしては必須のスキルなのであろう。しかし、それでは本末転倒ではないか。

 戦略とは、特定の目的を達成するために、保有する、あるいは活用できる資産(事業や産業、部門など)に明確な優先順位をつけることに他ならない。であれば、骨太な方針の下で、一部の不平不満の声の発生をあらかじめ想定した上で、ごく一部の対象に政策的資源を集中させることを明言することこそ「戦略」といえるのではないだろうか。すなわち、「動機」や「意思」の不在を基幹から排除するように取り組むという姿勢が重要であろう。

 ニュースバラエティショーの中で専門家とはとてもいえない文化人に「日本のメディア政策は混迷してきた。失敗してきた」とまで揶揄されることが珍しくない状況で、コンテンツ産業を今後四半世紀にわたる日本のエンジンに据えるという矛盾を、今後どのように解消できるのだろうか。

 ここまでくれば、ある程度の大鉈振りは不可避であろう。

 今こそ、注力するべきところに力を込めるという、あるべき施策がとられ、お題目が掛け声ばかりにならないようになるのを望みたい。

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