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電車男のアドホックコミュニケーション

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 2004年のネット界隈をにぎわした話題として「電車男」はもはや外せない。僕自身2ちゃんねるを見直した、というよりはそれを通り越して、感動させられたのは昨年の「マトリックスオフ」だった。ちょうどそのときに『オルフェウスプロセス』という本を読んでいたからと言うこともあったのだが。とにかく今年は「電車男」だ。だからと言うわけではないが、近くないが遠からず、と言う電車内の話題から。

 「近くないが遠からず」というのは都内からSFCまでの交通手段もまたそうだ。まず湘南台駅を目指す。ルートはいくつかあり、東海道線・横須賀線・湘南新宿ラインで戸塚まで行き横浜市営地下鉄を使うルート、渋谷から東横線と相鉄線を使うルート、渋谷から田園都市線で中央林間まで行き小田急線に乗り換えるルート、新宿から小田急線で行くルート。湘南台駅からSFCまではバスかタクシーということになる。

 僕は小田急線を利用しているが、先日から小田急線のダイヤが変わり「快速急行」という、新宿から湘南台までより早く到達する電車が出来た。短縮する時間としては5分ほどなのだが、座っていても立っていても1時間弱のうちの5分というのは大きく感じられる。初めてその快速急行に乗って学校へ行き、帰りも快速急行に乗って帰ってきた。その電車内で、目の前の人に話しかけられた。「太郎さんですよね」

 普通であれば電車の中で知らない人から声をかけられるというのはほぼないので、やはりちょっとはびっくりする。彼はSFCの2年生で前回のコラムを読んでくれたそうだ。コラムには顔も名前も出ているから、まあそんなものだ、と思いつつ、コラムに書かれていた内容を話題に話をした。

 彼は「前回のコラムでMSN Messenger7によって“SFC的なオンライン生活をすぐに実現するための良いツール&サービス群ではないか”“SFC的なオンライン生活に近いスタイルが広まっていく可能性を秘めているのではないか”という指摘をしていたが、ツール1つでSFCの学生のライフスタイルが真似できるのなら、SFCのアドバンテージというのはそんなものなんか」という危機感をぶつけてきた。

 確かにおっしゃる通りかもしれない。そもそもネットで広く配布されているツールを使いこなしているだけなので、使っているソフトウエア的な部分に関してのアドバンテージはない。もしもSFCの中で、学生が「これはいい」と愛用しているSFCローカルなツールが生まれているわけではないので、これは大きな課題として指摘すべきだと思う。

 では本当にアドバンテージはないのか。それも違うと思う。やはり1人1台がノートパソコン持っていたりキャンパスに溢れるように存在するコンピュータ端末を自由に使いこなし、教室だろうが池の畔だろうがオンラインになっているという“環境”と、それを享受しているライフスタイルに有り余る時間を費やすことが出来るというのはやはりアドバンテージだ。当たり前すぎて気付かないほどとけ込んでいるからこそ、そこに気付くこともまた重要だ。

 そんな話をしているうちに、ちょっとスピードアップした電車が目的地に着いたので、その彼とは電車を降りて別れた。知らない人と話題を持って話をする感覚は、僕がBlogを持ち始めてから色々なユーザーコミュニティにお邪魔して話をするときの感覚に似ていた。この人はこの話題を持っているぞ、と予め分かった上で話を始める。その当時は少し不思議なやりとりだと思っていたが、話が盛り上がったり深く進む点で効率的なコミュニケーションだと受け入れていた。

 Blogであればお互いのBlogをブックマークやRSSリーダーやソーシャルネットワーキングで読み合うし、メッセンジャーであればステイタスコメントの変移もしくは異変を見て、話しかけるきっかけを作っている。各個人がそれぞれの“話題のステイタス”を持っていて、それをオープンにしているからこそ実現するコミュニケーションのスタイルだ。話題から進んで、知識の共有や創発が起きやすい環境作りをする場合のソフトの部分として有効に作用するのは言うまでもない。

 ところが、また1つ引っかかる点がある。それは彼と僕が、なぜ電車の中で会ったのか、ということだ。彼が言うに「実は行きの電車の中でも隣の席だったのですよ。話しかけようと思ったけれどもやめておきました」とのこと。1日に電車の中で2度も会ってしかも聞いてみたいことがあるなら、それは話しかけるというものだ。ものすごい偶然!奇遇!と言えばそれまでだが、話している感じからある1つの可能性は排除した上で、冷静に考えてみる。

 僕が行きに電車の1両目に座ったのは。後ろよりの車両は混んでいてすっと座れないからだった。これはその日の状況というわけではなく、通っている上での経験則としての判断。結果予想通り電車に乗るなり座ることが出来た。帰りの場合はまた違う判断で2両目に乗った。ホームに上がったときには電車を待つ人で混み合っていて、待っている人がまばらになってきたのがまた先頭の方の2両目辺りだったというわけだ。

 行きと帰りと別々の判断による行動をしていたも関わらず、長く同じルートで通っていると、そこを利用する人は同じ判断とそれに基づく同じ行動をする。それを題材にして作られていたのがPSPの麻雀格闘倶楽部のテレビコマーシャルだ。中央線だろうか、ラッシュでももみくちゃにされながらも、顔も知らないがいつも決まった4人で、新宿までPSPのアドホックネットワークによる対戦機能で麻雀をするというストーリー。とてもエキサイティングな状況だと衝撃を受けた。

 そういう人のある程度パターンのある行動や人の導線と、そこを行き交う人が持っている話題のステイタスとが重なったからこそ、彼と僕の小田急船内での議論が成立したのだ。もちろんその導線が持っている意味や成因としての話題のステイタスも出てくるし、ある意味を持っている人の流れと行き交う人の話題のステイタスとのブレンドによって、その場のステイタスも定義されることになる。

 これらがうまく可視化されてくるというのが重要で、お互いになぜそこにいるのか、何の話題を持っているのか、この場の意味は何か、と言ったことが明らかになるからこそ、コミュニケーションが発火することになるのだろう。ここで考えるべきはBlogに情報を書く感覚とリアルに人の前で自分の情報を出す感覚には大きな違いがあるという点。先週に引き続いてまた今週も「プライバシーの線引き」が最後にテーマとして出てきてしまった。来年に持ち越さないように考えてみようと思う。

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