インターネットが登場したての頃。ウェブの目覚めだ。1966年から1990年の間に起きた、以降のウェブの発展に極めて重要となる5つの出来事を選び出した。
ARPANETは、核攻撃にも耐えられるであろう軍事通信システムとしてではなく(そうなっていた可能性はないわけではなかったが)、単純に遠く離れた場所とデータを共有する軍用コンピュータネットワークとして作られた。ARPANETはインターネットの誕生に影響を与えた。この年、当時ARPA(米国防総省の国防高等研究計画局)の部長を務めていたCharlie Herzfeld氏は、IPTO(米国防総省の情報処理技術局)の部長であったテキサス出身のRobert Taylor氏に、ARPANETの初期開発構想に対して100万ドルの開発資金を供給した。
「A Protocol for Packet Network Interconnection 」はVinton G Cerf氏とRobert E Kahn氏が1974年に執筆した論文の1つである。この論文には、最終的にTCP/IPと呼ばれることになる、インターネット全体を可能にするパケット交換技術の詳細が記述されていた。たとえインターネットの大部分が壊れたとしてもあらゆる情報を取得できるのはこの技術のおかげである。ネットワークの歴史の中でもっとも重要な開発といえる。
「インターネットの神」と称されるインターネットのパイオニア、Jon Postel博士は、「Request For Comments(RFC)」と呼ばれるドキュメントシリーズの1つで、それぞれ.com、.org、.gov、.milで表されるトップレベルドメインを紹介した。RFCはIETF(Internet Engineering Task Force)が発行する技術仕様文書である。Postel氏はドメインの提案と同時に、IANA(Internet Assigned Numbers Authority)を設立し運営を行った。
1984年の雑誌に載ったLMZと呼ばれる高効率のロスレス圧縮のアルゴリズムに関する論文を元に、CompuServeの開発者たちは、そのアルゴリズムが特許出願中であることを知らずに、GIF(Graphics Interchange Format)イメージを開発して発表した。GIFは圧縮効率の高さから広く普及し、その後ウェブはフルカラーの時代に移り変わっていった。1986年になってLZWアルゴリズムに関するUnisysの発明が特許として認められたが、同社はCompuServeに対してGIFの利用を停止するといった措置は特に講じなかった。数年後にUnisysとCompuServeの2社は共同で、このフォーマットを使うには特許料を支払わねばならないとほかの開発者に向けて通告した。不運な開発者たちは不満を募らせた。
英国のCERN(欧州原子核研究機構)で働いていたTim Berners-Lee氏は、ARPAと同様に科学者たちが情報を共有するための効率的な手段が必要であると考えていた。そのような動機がきっかけとなって、ハイパーテキストを使った初歩の実験の一環として、World Wide Webが誕生した。Berners-Lee氏が「WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project」と題して1990年に行ったCERNへの最終的なプロジェクト提案には、ウェブを作ってみたいとの同氏の想いが述べられている。
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