舞台はニューヨーク証券取引所、トレーダーが小さな紙切れを振り回しながら大声で叫んでいる。映画にもよく登場する、米国の資本主義を象徴するお決まりのシーンだ。そして紙切れに書かれているのは証券業界の生命を左右する情報である。
しかし、ニューヨーク証券取引所の最高技術責任者(CTO)Roger Burkhardtには、この熱気を帯びた光景がスローモーションに見えたという。
そこで、IBMでの15年のキャリアを持つBurkhardtは、ニューヨーク証券取引所のシステム近代化に着手した。今では、あの紙切れは本部の取引システムに無線でつながる携帯端末へと姿を変え、注文を瞬時に確認し、情報に食い違いがあっても即時に検知できるようになった。情報のずれに気付くのにそれまでは1日以上かかっていたものだった。
Burkhardtが目指したものは「迅速な情報伝達と問題発見、そしてリスクの軽減」だった。
ニューヨーク証券取引所の歴史に残る変化をもたらしたのは、Straight-Through Processing(STP)と呼ばれる考え方である。STPは、有価証券取引の完全な電子化と、紙・電話・ファックスの利用を減らすことで注文情報やり取りの円滑化を目指す壮大な計画を指す。STPは今では、コスト削減により米国経済の減速期を乗り切ろうとしている金融サービス業界全体で、採用が進んでいる。
業務効率が上がらないままでは、大手証券会社や投資銀行は人件費や時間、取引の失敗で年間数億ドルを損失しかねない。そのため、観念的な技術目標だったSTPはビジネスの必須要件として見られるようになった。
大手金融サービス業界団体である米証券業協会のマネージングディレクターJohn Pancheryは、「企業は決算値、またはポートフォリオを改善する方法を探し続けており、STP導入に注力してプロセス効率を大幅に向上させることは今日の重要課題となっている」という。
調査会社TowerGroupの調べでは、米証券会社は今後3年間でSTPプロジェクトに67億ドルを投資すると見ており、大半の企業はこのプロジェクトへの投資を1年以内に回収できると考えているという。
これは、金融業界同様に経済停滞の中で生き残りをかけて戦っているIT企業にとっても歓迎すべきニュースと言える。STPプロジェクトの内容は、手形交換所が大量の電話やファックスのやり取りなしで取引エラーを修正できるようにするための専用ソフトウェアの開発から、証券会社のバックオフィス機能の部分的再構築を支援する幅広いコンサルタント業務まで、ITとのかかわりが多岐に渡るからだ。
Sun Microsystemsのグローバル金融サービス担当ディレクターのDavid Littlewoodは「取引の15%は、何らかの問題を含んでいる」と言う。「この15%という数字を10%にまで減らせれば、相当の勤務時間とコストを削減できる」(Littlewood)
これらの問題の本質と複雑さは、証券取引上必要とされる複雑な手順を始めから終わりまで追ってみるとよくわかる。
まず、取引の始めと終わりのプロセスは既に自動化されており、注文と受注確認は一定の形式に沿って電子的に送受信される。しかしその中間のプロセスには流れを絶たれる可能性が多く残されている。
例えば、ある取引先が株式売買に十分な株式数を即時に用意できない場合、その取引先は、必要な株式を揃えるのを専門とする「ローンベンダー(株式貸付業者)」と呼ばれる企業から不足分の株式を借りる。ここまでのプロセスは自動化されているのだが、ローンベンダーの株式回収手続きはファックスと電話のみとなっている。
IBM Global Financial MarketsのSTP担当ディレクターのTom Shawは、証券取引決済までのプロセスには多くの変更が必要だと指摘する。「依然として人手を介した承認・手続きの量が多すぎて、多くの企業が究極の目標としているリアルタイムでの処理や決済ができない」(Shaw)
取引が手形交換所の手に渡り、金融機関が株式を売り手から買い手に移す段階にまで来て、頓挫することもある。理由は為替の変動やデータ登録ミスなど様々であるが、どちらにしろ問題解決のために電話を掛けまくることになる。
TowerGroupのシニアアナリストDushyant Shahrawatは、STP導入による問題の解決には時間がかかると言い、証券業界関係者の心理的変化も指摘する。
業界全体が一層複雑になっていると指摘するShahrawatは、次のように述べる。「数年前は、データの問題だけに着目していて、いかにデータを移動させるかが課題だった。次に、アプリケーションに注目し、いかに複数のアプリケーションを連携させるかが課題となった。そして今では、次なる目標、すなわちプロセスの統合化に着目し、個々のハードウェアやソフトウェアではなく、いかに物事を完了させるかが重要となった」
証券業界での業務革命
まず最初に行った問題解決は、証券業界にとっては中国の資本主義導入と同じ位大胆なものだった。それは証券決済に要する期間を通常の3日から1日にまで短縮するもので、「T+1」と名づけられた。
昨年、銀行は慎重にT+1導入に向けた立案を進め、証券取引委員会もその導入準備を進めていたが、経済停滞がブレーキをかけた。T+1導入が実施されていたら、米国証券会社は80億ドルの投資を強いられるだけでなく、金融機関の多くが数十年前に導入した夜間処理用メインフレームを入れ替えるという大規模なプロジェクトが必要だったためだ。
調査会社IDCの傘下にあるFinancial Insights のアナリストDamon Kovelskyは、T+1導入には資金面だけでなく技術面の問題が大きかったと指摘する。「資金は確かに不足していた。加えて、古いテクノロジーがまだ機能していたことも障害となった。メインフレーム上のCOBOLプログラムが全く問題なく機能しているのに、それを入れ替えるよう提案するのは難しかった」(Kovelsky)
こうした証券業界の強固な反対に加えて、ニューヨークを襲った同時テロで関心はセキュリティ対策に移ったことが理由となり、T+1計画は棚上げとなった。しかし、この計画は後にそれを縮小した形となって、STP導入計画の基礎として復活した。
米証券業協会は、今後数年内に達成すべき7つの目標を設定した。主なものは、紙面による証明書保管の廃止や電子決済の標準化、株式貸付手続きの簡素化などだ。
しかし目標達成を目指す前に、まずビジネス上の共通言語を決める必要がある。現在各社はWebサービスを支える言語のXMLを、金融関連情報のやり取りに使えないかと考えている。
「取引決済プロセス全体が滞っているのは、各プロセスの記述方法に問題があるせいだ。だから各社はこぞってXML支持にまわっている。XMLは一貫性を保つのに一番いい選択肢だからだ」と調査会社ZapThinkのアナリストRonald Schmelzerは言う。
XMLプログラムを使えば、銀行やブローカーは、正確でフォーマットの一貫したデータを使い秘匿性の高い取引を行うことができる。逆に言うと、XMLならば相手に見せたくないデータは見せないようにすることができる。これは他が知らない情報を持つことが収益に結びつく業界において極めて重要な点である。
またXMLは、金融サービス企業が現在使用している独自のメッセージング用フォーマットのSWIFTにも取って代わる可能性が高い。XMLベースのシステムならば取引やほかのサービスを通信システムに取り入れることができるからだ。
「この分野は長年ブラックホールとなっていた」とEDSのGlobal Capital Markets Group担当マネージングディレクターであるGabe Davidは語る。「決済までに5日間あり、手続きが全て紙ベースの時代にはSWIFTで十分だった。しかし今は、メッセージの交換と並行して決済を進められるような環境が必要となった」(David)
注目される例外処理製品
ほかにも、証券業界は例外処理システム、つまり問題を自動的に解決するプロセスを実現するソフトウェアとハードウェアを求めている。Sun MicrosystemsやHewlett-Packardなどの大手企業のSTPパッケージには既に例外処理システムが含まれており、その多くはSungardなどこの分野に特化したソフト開発会社と手を組んで実現している。
SunのLittlewoodは「市場には例外処理を適切にこなす製品が出回っている」と話し、同社は例外処理システムを得意とするCaseMetricのアプリケーションを使用していると言う。「各社とも、全ての取引の自動化と例外の管理を実現しようとしている。適切なソフトウェアを使えばそれを的確にこなせる」(Littlewood)
STPビジネスでは、大手が必ずしも競争の上で有利とは限らない。IBMのような大手とアウトソーシング契約を結ぶ企業もいるかもしれないが、多くの企業は自社で実現する傾向にある。
「顧客に近い企業は、どんなビジネスでも獲得しようとするだろう」とIDCのKovelskyは言う。「IBMやRadianceはいいビジネスを獲得しているし、ほかのバックオフィス系ソフトウェア業者もその恩恵の一部を受けている。しかし、外部委託には限界があり、企業にとっては管理を他人に任せたくない部分があるのが現実だ」(Kovelsky)
TowerGroupのShahrawatも同様の意見だ。「この分野については証券会社もAccentureやEDSの意見を求めてはいないのではないか。むしろ、自分たちで問題を解決しようとしている。各社はこの手の売り込みにつき合わされたり、製品をいくつも買わされたりもしてきただけだ」と言う。
証券業界を外部から見る人は、主要な証券会社や投資銀行は2〜3年以内にSTPシステムを導入するだろうと見ているが、業界内での見方はこれとは異なる。証券取引に関連する企業のほとんどにはシステム再構築の資金も動機もない。
例えばミューチュアルファンド管理会社など、株式投資を主とする企業には、収益改善につながらない分野に投資しようという意欲はない。また中小の証券会社や銀行には大規模なシステム再構築に投資できる資金はないのである。
しかし取引電子化は、その取引に関連する企業すべてが参加しなくては、本来の効果は発揮できない。
EDSのDavidは「今後、業界は二分化が進むだろう。一つはSTPの効果を認め今まで以上の早さで導入を進める大手企業。もう一つはそれに追いつこうとするかまたは取り残される小規模企業だ」と言う。
ともあれ、Burkhardtとニューヨーク証券取引所にとってSTP導入は必須だった。ニューヨーク証券取引所は、100年も前に制定されたトレーダー数制限の規則を守りながら、急増する取引量をさばく必要があり、そのためにもとにかく効率の良いシステムを導入しなければならなかったからだ。
「効率化を進めなくてはならない環境に追い込まれたという意味では、トレーダー数の規制はむしろプラスに働いた」とBurkhardtは語る。
Burkhardt はこう付け加えた。「STP以外には生き残る手はなかった」
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