同時に、取締役会のほうでも足下の事柄がおろそかになってしまった。Friendsterサイトでは、ユーザーの急増によってパフォーマンスが著しく低下していた--ひどい時にはアクセスするだけでも40秒もかかっていたという。それにもかかわらず、取締役会の面々はそうした問題の解決を他人任せにして、大半の時間を潜在的な競合相手のことや、VoIPのような新機能の追加についての検討に費やしていたという。現在Friendsterで社長を務めるKent Lindstromは当時の状況について、「彼らはいつも次のこと("next thing")の話ばかりしていた。VoIP機能(の追加)、他言語での展開、大手広告主との契約・・・しかし、われわれは真っ先に解決すべき根本的な問題を解決していなかった。サイトがきちんと動かないという問題をだ」と述べている。
このLindstromは当時を振り返って、Friendsterは「すべての資源を投入して、この技術的な問題を解決する必要があった」と述べている。だが、同社は数十万ドルの時価総額を持つ巨大企業になることにばかり目が向いていた。まるで、まだ歩けもしない赤ん坊が走ろうとするかように。「Friendsterは次のGoogleになることに気をとられすぎていた。そのため、次のGoogleになるためにまず取り除かなくてはならないもっと泥臭い問題の解決に注意を向けていなかった」というのは、ハーバード大学ビジネススクール助教授のMikolaj Jan Piskorski。同教授はこのFriendsterの失敗を、自分の教える事業戦略の講義で使うケーススタディとして採用しているという。
取締役会がAbramsに代えてまずCEOに据えたのは、かつてYahooでCEOを務めたこともあるTim Koogleだった。しかし、このKoogleはあくまで中継ぎで、たまにしかオフィスに顔を見せず、結局3カ月しか続かなかった。次にCEOに指名されたScott Sassaは、テレビ業界で活躍した人物だったが、しかしFriendsterが大手の広告クライアントと契約を結べるような状況になかったため、彼の力も活かされず、1年と持たずにCEOの座を去った。さらに後任のTaek Kwanも、就任から6カ月ほど経った2005年末にCEOをやめた。
そのようにして、Friendsterでは12カ月ほどの間に3度のトップ交代を経験したが、その影響をもろにかぶったのがエンジニアリングチームだった。新しいCEOが就任するたびに会社全体の方向性が変わり、それに伴ってエンジニアリングチームにも新しい仕事が与えられた。そのおかげで、サーバのパフォーマンス改善作業ははかどらず、さらに必要とされていた新機能の追加でも後手にまわることになった。
この時、新機能の追加が必要とされていた理由は簡単だ。Friendsterの真似をした、MySpaceなどの競合他社が台頭してきていたからだ。これらの後発サービスではブログやプロフィールを飾り立てる機能などを次々に加えていったが、パフォーマンスの問題が解消されていないFriendsterでは、同じことをしようとすれば、なおいっそうサーバの反応速度が低下してしまうおそれがあった。そのため「みんなが素晴らしいアイデアを次々に出してきていたが、結局『まずは基本的な部分をきちんと動くようにしよう』ということになった」(Lindstrom)。ちなみに、前述のDoerrはこの頃すでに、「お気に入りの音楽アーチストを核にしたコミュニティつくり」というMySpaceと同様のアイデアを思いついていたが、しかし「実行段階で完全に失敗した。敗因はサーバのパフォーマンスを改善できなかったことに尽きる」(Doerr)という結果に終わった。
このほか、Friendsterが競合相手を見誤っていたことも失敗の原因として挙げられている。前述のSiegelman(KPCBのVC)によれば、Friendsterを支援していた人々は同社が「次のGoogle」になることを信じて疑わず、GoogleやYahooといった大企業の動向にばかり関心を示していたという。「あの頃、取締役会に出てイヤな気持ちになったことを覚えている。どの会議でも、時間の半分は『GoogleやYahooがこれからどんなことをしてくるか』についての議論に費やされていた」(Siegelman)。
また、従業員の多くも、後から台頭してきたMySpaceを見くびるという過ちを犯した。2003年10月から2005年5月までFriendsterで事業開発の責任者を務め、その後ライバルのBebo.comに移ったJim Scheinmanは、2004年前半から急激にトラフィックが増えていたMySpaceの動向を定期的にアップデートしていたが、彼の報告に耳を貸す人間は少なかったという。「MySpace(の台頭)を真剣に受け止めようとしない人間が多かった」(Scheinman)
そして、このエリート意識(?)からくる慢心が技術面の問題解決の足を引っ張ることになる。Friendsterの仕組みは「クローズド」なシステムで、ユーザーのプロフィールを観られるのは特定の知り合いに限られていた。Friendsterではこの仕組みが最も重要な点(「holy grail」)と考えられていたが、同時に技術面の問題の大半はこの部分が原因で生じたものだった(それに対して、MySpaceのほうは誰でもほかのユーザーのプロフィールを観られるようになっており、その分技術的にもシンプルにできていた)。
その他、両社のユーザーに対する姿勢の違いも、その後の展開に大きな影響を及ぼした。この違いはそれぞれの創業者の性格を反映したものというが、たとえばFriendsterでは、自分の顔写真の代わりに飼い犬の写真を貼り付けたユーザーに対し、そのページを削除するという出来事があった。それに対し、MySpaceのほうはユーザーのやることに逆らうようなことはせず、逆に自分がしたいことをどんどんしてみるように薦めるやり方をとって来ている。
このようにして、さまざまな点でつまずいたFriendsterは、せっかく好スタートをきりながらも、ファーストムーバーの優位を失ってしまった。2005年には投資家らが同社の売却を試みたが、2000万ドルという売値でも買い手が見つからず、結局追加投資をして新しい方向性を模索していくことにしたという。このNYTimesの記事の終わりには、25〜40歳という競合サービスと比べて高い年齢層にターゲットをシフトするほか、東南アジア諸国など海外市場での展開にも活路を見いだそうとするFriendsterの現在の戦略が記されているが、「Friendsterは数十億ドルの売上規模を持つ巨大企業にはなり損ねたが、それでもまだたくさんのチャンスがあると思う」というThiel(PayPal共同創業者)や、「米国企業のなかには2度目の挑戦でうまくいった例はたくさんある」というDoerrの言葉には、どうしても負け惜しみの印象がつきまとってしまうと思えてならない。
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