コンピュータに1980年代以前から親しんでいる人は、「人工無脳」と聞くと、ある種のノスタルジーと共に思い起こすものがあるんじゃないかな。
「何それ?」という人のために少し解説すると、人工無脳というのは一種のお遊びプログラムのことで、チャットで人間と会話をしてくれるロボットのこと。海外ではChatter Botと呼ぶのが一般的みたいだね。
もちろん、会話の精度は高くなくて、「何言ってんだコイツ」とか、「会話が全然なりたってないじゃん」なんて場合がほとんどなんだけど、たまに「おっ!」と思わせるようなことを言ったりして、チャット参加者を楽しませてくれる。
そもそも人工無脳(人工「無能」と表記される場合も多いが筆者は「無脳」という表記で統一している)というのは、開発者たちが「こんなもの人工知能と呼べるレベルじゃなくて、人工無脳だよね(笑)」という謙遜から使われだした言葉なんだ。
「あー、昔よく遊んだよ」なんていう人でも、最近の人工無脳の現状についてはご存知かな。確かに昔はフリーの形態素解析プログラム(日本語の品詞を分解するプログラム)もなかったし、大規模な自然学習するためのストレージも高価だったため、本当に人工知能と呼べるようなものは皆無だったんだけど、ここ数年で人工無脳は飛躍的に進化しているのです。
品詞分解(文章を名詞や助詞、動詞などに自動で分解すること)は当たり前だし、マルコフチェインアルゴリズム(過去に出てきた文章を元に、全く新しい文章を生成できる)やベイジアンアルゴリズム(過去の発言が適切であったかを自動学習して、次回から、より適切な発言ができるようになる)などの高度な処理をする人工無脳も、開発人口が少ないので数例だけれども出てきていて、ビックリするほど会話が自然につながるようになってきているんです。こういったアプローチはもともと正統派の人工知能的なアプローチだったんだけれど、両者の境界はどんどん曖昧になってきているんだ。
正統派の人工知能システムは、大規模な計算機で自然言語処理を(それも大量の辞書を元に)したり、大量なストレージを用意して、大変複雑なパターンマッチやデータを蓄積してきた。これに対して、人工無脳はそういう大変なことをいかにしないで楽しませるかを重点に開発されてきた。
しかし近年ではHDDなんてすっごく安くなったし、大変高性能な自然言語処理プログラムも無償で使えるようになってきた。だから人工無脳の開発者も資源的なデメリットがなくなってきて、逆に今までの苦労が財産となって飛躍的に進歩しはじめている。これによって、全然違う道を歩んできた人工知能と人工無脳が急接近してきたというわけだ。
筆者は2002年から「よみうささん」という、うさぎをモチーフにした人工無脳を開発しているんだけど、コイツもまた年々進化させていっています。これの量産型にあたるのがLinkThinkが提供する「BlogPet」というサービスです。
11月14日にはマイクロソフトがインスタントメッセンジャー「Windows Live メッセンジャー」で会話してくれるというサービス「まいこ」をリリースしたばかり。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス