オープンソース・コミュニティでよく使われる言葉に「POGE」というものがある。これは「principle of good enough」の頭文字をとったもので、「プロジェクトを遂行するときは、最初から最終結果を見越して作り込み過ぎてはならない」というオープンソースの原則を示した言葉である。
これはすなわち、まずは「good enough(まずまず)」なものを作り、ゆっくり時間をかけながらそれを改善していこうという考え方である。
インターネットもこのようにして生まれた。初期のインターネットは「まずまず」のものだった。ある程度の通信はこなすことができたし、文書から文書にリンクをはることもできた。一応、わいせつな画像をアップロードすることも可能だった。
しかし、近頃のインターネットは「まずまず」とはいいがたい。なりすましやウイルス、ワーム、フィッシング(偽装詐欺)、児童ポルノ・・・そしてスパムの山、山、山。その原因はとりもなおさず、インターネットを支えているインフラ、つまりインターネットの構造そのものが、もはや「まずまず」とはいえないことにある。
つまりこういうことだ――スキームの乱立や詐欺、偽装のまん延によって、インターネットは今、崩壊への道をひた走っている。端的にいえば、インターネットは今、めちゃくちゃな場所になりかけているのだ。
恐竜から学ぶべき教訓
科学者の言葉を信じるなら、こうした混乱の原因はネットワークの構造そのものにある。複雑系の理論に基づけば、インターネットは今も進化の過程にあり、この状況も自然な流れであるということになる。
生態系から経済に至るまで、およそ自己組織型ネットワークといわれるものは、最初は一握りのコネクションから活動が始まり、それが自己触媒と呼ばれるプロセスを通して拡大していく。通常、ネットワークは「スーパーノード(supernodes)」を中心に形成され、ある段階までは、比較的安定したペースで成長する。
しかし、ネットワークが成長すればするほど、コネクションの数も増えていく。やがてコネクションの数が安定しなくなり、システムは「カオスの縁」、つまりネットワークの有用性や安定性が脅かされる段階へと向かう。カオスの縁に到達したネットワークは、(恐竜のように)縁から転がり落ちるか、(景気回復のように)持ち直して、新たな進化を遂げる。
そもそも、インターネットは商業活動を想定してつくられたわけではない。インターネットは30年以上も前に、通信システムとして設計された。「投稿」「閲覧」「返信」といった言葉からも分かる通り、初期のインターネットは、それまでの伝統的な通信システムの面影を色濃く残している。Tim Berners-Leeがインターネットの力の源泉となる「リンク」という変数を追加し、この原型を完成させたのは1991年のことだ。
インターネットは本来、ある前提をもとに作られている。それは「アクセス権を持つ者だけがインターネットを利用できる」というものである。事実、当初このネットワークを利用できたのは、米国防総省国防高等研究事業局(DARPA)の職員か、国防省からインターネットの前身となるこのネットワークの研究を最初に請け負ったミシガン大学計算機科学学科博士課程のメンバーだけだった。
インターネット上のインタラクションは、データを提示・記述したり、他のデータを指し示したりするために作られたもので、「現実の世界」、つまり社会活動やビジネスの場で行われているインタラクションとは種類が違う。つまり、インターネットの基盤となっているアーキテクチャでは、現代人が期待しているような高度な商業活動や社会活動に十分に対応することはできないのだ。こうした活動は、Webサービスやオークション・サイト、ソーシャル・ネットワーキングを通して、ますます危険にさらされるようになっている。
商売や社交といった、人間くさい「交流」をオンラインで実現するためには、インターネットは明確なアイデンティティの感覚を手に入れる必要がある。
匿名性からの脱却
インターネット上の匿名性は、これまでは「まずまず」のレベルで機能していた。しかし、インターネットが企業活動や個人の生活と密接に関わるようになった今では、その最大の強みを維持しつつ、アイデンティティの問題に対処することが不可欠となっている。
インターネットの最大の強みは、その分散性にあるといっていい。インターネットにアイデンティティの感覚を取り入れるときは、この特徴を理解した上で、うまく活用していく必要がある。たとえば、SAML(Security Assertion Markup Language)の策定に取り組んでいるOASIS(Organization for the Advancement of Structured Information Standards)のSecurity Services Technical Committeeや、Liberty Alliance、WS-Federationといったグループが推進している新しいセキュリティ仕様は、アイデンティティ情報を統合し、利便性を高める一方で、情報の分散性も維持している。
これらの仕様は大きな変化の兆しにすぎないのかもしれない。しかし、これは重要な一歩であり、「まずまず」の出来であることは評価されるべきだ。これらの仕様は、今後もっと大きな野望、つまりエンドユーザーが自分で管理することのできる、きめの細かいアイデンティティを実現するための前準備としては、十分な役割を果たしている。
インターネットにアイデンティティの感覚が加われば、プライバシーや著作権侵害、セキュリティの面でも、多くの重大な判断が下されることになるだろう。しかし、アイデンティティの感覚を取り入れないという選択肢はありえない。この感覚がなければ、今日のインターネットはいずれ、投稿や閲覧にしか利用することのできない場所になってしまうからだ。
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