冷や汗もののビジネスプラン
こうしてようやく開業したのですが、なにしろお金も知名度も何もない。開業時に、「インターネット応用ビジネスを連続的に手がける」という趣旨と、ビジネスアイデアが20個ほど列挙された目論見書があるだけで、具体的に何をやるかが決まっていなかったという、今から考えると嘘のようなほんとの話です。
「インターネットの時代がくる!ビジネスチャンスは無限!米国での大きな波が日本に押し寄せるのも間近!今考えている20のビジネスアイデアはこれ!これらを調査して、プライオリティをつけて次々にスタートする!」みたいな内容です。情熱だけが先走った、ビジネスプランともいえない内容。今思い起こすと、よくこれで出資者が見つかったものだと、冷や汗が出ます(^^;)。「お前がやるなら、これくらいなら出すよ」と餞別(せんべつ)代わりの出資をくれた友人も多かったようです。ありがたいことです。ただ、米国にも同じようなことを実行している企業があることを知っていました。それはIdealabといいます。インターネットビジネスを連続して開発・事業化・スピンオフする企業です。私の創業目論見書にもIdealabのことは引用されていますので、ある程度のモデルイメージはあったのです。
社会人は私ひとり、あとは全部学生
当時はまだインターネットビジネスの黎明期で、出資はしてくれても、さすがに会社をやめて同志としてついてきてくれる人はいませんでした。創業メンバーは私と一橋大学の学生プログラマ1名、そして、庶務などをやってもらうために近所に住んでいた友人の奥さん、という布陣。社長1人、正社員ゼロ、アルバイト2名というささやかなスタートです。
自分の有り金全部と、20名の友人から集めた資本金はなんとか1500万円。自分の給料をAOLジャパンで働いていた頃の半額以下にしましたが、それでも正社員はコスト面から採用できませんでした。そのかわり、10名ほどの学生アルバイト(正社員並みの仕事内容なので、インターンと呼んでいました)がいれかわり立ち代りやってきました。当時は、インターネットはまだ大企業がまともに取り組む前の時代でしたので、かえって新しいもの好きの理科系の学生のほうが詳しかったのです。文科系学生は、何かやらかしたい、何か面白そうだ、というだけのことだったのかもしれません。この学生たちの中に逸材がたくさんいました。S君という学生はまれにみる天才肌のプログラマでした。Kさんという女子学生は素晴らしい営業ウーマンでした。また、K君という東大の1年生は、当社で初めてプログラミングを覚え、みるみるうちにすごいプログラマになりました。本当に多くの逸材の卵が不思議と集まってくれたと思います。卒業とともに一流企業に就職した人も多いですが、何名かはいまも当社の正社員として働いています。
実をいうと、現CNET Japan編集長の山岸さんも、ネットエイジの創業時の学生社員の中心メンバーでした。当時、彼は慶應義塾大学の4年生でしたが、その後日経BP社を経て、若くしてCNET Japanの編集長になり、こうして私の連載をうけもってくれています。世の中どう繋がるか、面白いものですね。
ちなみに、ネットエイジの会社のロゴのデザインは山岸さんの手によるものです。会社のCI(コーポレートアイデンティティ)まで学生バイトにやってもらう、というのはちょっとやりすぎだったかもしれませんが。
懐かしのガレージベンチャー
起業家のささやかな特権のひとつに、予算内で自分の好きな場所にオフィスを構えられるという点があります。私は、当時住んでいた吉祥寺から便利で、なおかつ学生アルバイトをあてにしていたので学生に好まれ彼らが集まりやすい場所、なおかつ賃料が安い場所ということで、渋谷の隣の神泉という小さな駅の回りを探し、家賃13万円の小さなオフィスを選びました。オフィスは住所こそ渋谷区松涛という高級住宅地と同じですが、「え?ここも松涛なの?」というくらい、イメージを裏切る場所。東急百貨店本店の裏にある、古びた3階立てのビルの2階で、エレベーターもなく、外階段であがっていくという超おんぼろオフィスでした。1階のかなり高齢の歯医者さんが大家さんでした。ドアをあけると台所があり、その奥に6畳のたたみの部屋が2つあり、お風呂もありましたので徹夜のときは便利でした。オフィス家具は全部中古屋で買って自分のワゴン車ではこびました。いすは道端に捨ててあった喫茶店用の古いのを拾ってきたものもあります。パソコンは当然自作。押入れを改造して机にしていました。
すべて、超節約感覚、Do it yourself 感覚。いやはや、すごいガレージベンチャーだったのです。あのころから比べると、いまはずいぶんまともになりました。あのころからいったいどうやってここまで来たのか、不思議なくらいです。しかし、あのころが無性に懐かしくなるときがあります。まさに「ぼろは着てても心は錦!」の状態でした。お金はからっきしないけれど、夢だけはでっかくもっていた青春の日々のような懐かしさがあります。
(以下つづく)
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