企業の新規事業開発を幅広く支援するフィラメントCEOの角勝が、事業開発に通じた、各界の著名人と対談していく連載「事業開発の達人たち」。現在は特別編として、森ビルが東京・虎ノ門で展開するインキュベーション施設「ARCH(アーチ)」に入居して新規事業に取り組んでいる大手企業の担当者さんを紹介しています。
今回は、エステー 新規事業開発室 クリアフォレスト担当 エグゼクティブエキスパートの奥平壮臨さんにご登場いただきました。奥平さんは、今までのエステーのビジネスモデルとは異なる、森林の香りを活用したクリアフォレストという新規事業に取り組み、外部企業とのオープンイノベーションで新しいビジネス開発に挑戦されています。前編では、そこに至るまでの紆余曲折について伺います。
角氏:奥平さんはARCH開業初期から参画されていて、いろんな人とつながりを作る名人だと中の方から伺っています。会員企業同士のプロジェクトには、だいたい真ん中に奥平さんがいると(笑)。またエステーさんの香りを使ったビジネスというと、今までは臭いを消す形でしたが、新たに香りを作るという考え方にシフトすると、色々なプロジェクトに絡んでいくことができる。そこの部分の結合力のようなところも面白いと個人的に思っていまして、今日はお話を伺うのを楽しみにしてきました。
奥平氏:何だか物凄くハードルを上げられてしまいましたが(笑)
角氏:そもそも、なぜエステーに入社されたのですか?
奥平氏:僕はもともと機械系が専門で、大学も機械システム工学部を卒業しています。ただ就活時が氷河期で、機械システム系の学生は主に大手電機メーカーを目指すのですが、競争率が高い。そこで僕は、メーカーのシステム部門に入ろうと作戦を立てたのです。あまりそこに行こうと思って行く人はいないだろうなと。
角氏:今だったらDX人材としてみんな欲しがっている人材ですけどね。
奥平氏:今なら需要があるかもしれませんが、当時はIT部門は外注している会社が多かったですね。ただ内製している会社では、「メーカーの情報システム部に就職したいなんて学生は初めて見た」と、ほぼ採用になったんです。なので、勝率は募集さえしていれば100%という感じでした。
角氏:その中から何でエステーにしたんですか?
奥平氏:エステーは凄く生活に近い商品を扱っているからです。たとえば、トイレが臭いとちょっと気分が悪いじゃないですか。でもいい匂いだとほんのちょっとだけ幸せになれる。300円の商品に人をほんの少し幸せにする力があると。
角氏:ストレスを消して幸せを足すわけですからね。
奥平氏:当時はIT革命の時期で、入社後はSEとして全国の拠点を回っていたのですが、ある時、当時の社長から「軽井沢の別荘で売上を見られるようにしてほしい」と、“個人的なお願い”を受けまして。そこで社長の別荘にBFLETSを引いて、VPN(仮想専用線)で会社のイントラネットにつなげたところ、信頼を得られたようで、経営企画をやらないかと声がかかったんです。「今後ITがどんどん入ってきて会社も変わっていくから、経営企画に入って色々考えないか」と。
角氏:IT化で全国を回っていて支店にも信頼されているし、適任だろうと。経営企画に入ってからは?
奥平氏:実は当時、会社は踊り場にいたんです。売上もそうですし、ビジネスモデルも昔から変わらず、商品を作り、卸・流通を通してドラッグストアなど小売店に売る形が主流でした。
角氏:マーケティングの力が強いから、「消臭力」を手に取ろうとはなるけど。
奥平氏:そうですね。当時ナイキさんを筆頭に、ファブレスでマーケティングドライブのメーカーが多かった中で、社内にもそういう雰囲気があって、社長もファブレスを志向していました。でも僕はやりたいことをやれと言われていたので、会社の方向性について意見を求められた時、「モノづくりを辞めては駄目だ」と主張したんです。いいモノづくりをすればまだまだ会社が伸びる余地があると思っていたので、R&Dの開発力と、工場・現場まで一貫したモノづくりの体制をもう一度見直そうという計画書を書いて提出しました。
角氏:R&D部門が要件定義だけするのでは夢がなくなりますよね。
奥平氏:そうなんです。防虫剤や消臭剤を作った先輩たちの話を聞くと、当時は防虫や臭いをなくすなんて考えられなくて、みんな凄く試行錯誤をしていたそうです。イノベーションスピリッツがある先達が物凄く考えて商品を開発していたのに、僕が入社した頃は消臭力が2000年に発売されたくらいで、ヒット商品は少なくなっていたんです。
角氏:それは危惧しますよね。企画書は通ったのですか?
奥平氏:通るどころか、「じゃあ、お前がやれ」となり、開発部門に異動になりました。ただし当社の研究開発は基本ケミカル領域なので、僕の得意分野ではない。そこで、コンセントに挿す芳香剤・消臭プラグとか、人が前を通ると香りが出てくるセンサー付きの芳香剤のような、ケミカルとエレクトロニクスを組み合わせたものを開発しようと思い至ったのです。それを当時「エレカル」と勝手に名付けて、たくさん製品を開発しました。
角氏:どんな製品を開発したのですか?
奥平氏:人が通ったり電気がつくと匂いが出る、「自動でシュパッと消臭プラグ」という商品は売れました。テレビCMもやっていて、当時はヒット商品になりましたね。
角氏:失敗したものは?
奥平氏:結構あります(笑)。当時シャープさんの「プラズマクラスター」が流行っていたので、エレカルの発想で「ウィルスアタッカー」というマイナスイオン発生機を開発したんです。プラズマクラスターより性能がいい製品を作ったつもりだったのですが、全く売れませんでした。
角氏:なぜですか?
奥平氏:作り手がいいと思って作る商品は、お客さんに刺さるとは限らないんです。ちゃんと原理を説明すると理解していただけるのですが、電機メーカーの印象がないエステーが「マイナスイオン発生機を5000円くらいで売っているけど大丈夫?」と思われてしまう。エステーの商品として見るとすごく高いし、何より説明が難しい商品がドラッグストアの棚に置いてあっても、伝わるわけがないんですね。自信があったのに、10万個作って2万個しか売れませんでした。その時、作り手の独りよがりでは売れないという教訓を得ました。
角氏:それはなかなかの大ごとだと思うのですが、まだあるんですか?
奥平氏:これは失敗か成功かわからないのですが、僕の世界観が最も変わったのが、東日本大震災だったんです。小名浜に当社の主力工場の1つがあるのですが、そこもだいぶ被害を受けましたし、連日報道される津波などのニュースを聞いて、当たり前に毎日過ぎていくものがある日突然無くなることがあるのだと衝撃を受けました。
工場の機械が直っても、放射線が怖くて社員が出勤していいかわからない。僕は電気が得意だったので、当時の社長から線量を測定してこいと言われたのですが、当時ネットで売っている放射線測定器(ガイガーカウンター)はロシア製か中国製しかなくて、出てくる表示の単位も聞いたことがないような使いにくいものでした。その話を社長にしたら、「そんな状況だとうちのお客様である主婦が放射線測定器を使っても子どもを砂場で遊ばせていいかわからない。だからお前が作れ」と言われまして。最初は当社の事業じゃないと思って断っていたのですが、社長が本気で、「広い意味で空気の話だろう」と。
角氏:確かにそうだ。
奥平氏:それで、よくよく考えて、放射線の危険度は自分では判断できないけれど、判断基準となる線量可視化は必要だと腹落ちして、開発に着手しました。始めは工場向けに測定器を作っている大手メーカーに、家庭用の主婦向けの測定器を作りたいので協力して欲しいと持ち掛けたのですが、「砂場で使う家庭用品の開発にうちを巻き込まないでくれ」と、散々でした。それで仕方なく、1から放射線の勉強をし、放射線を専門で研究をしている東京都立大の先生に協力を得ることができて、「エアカウンター」という安価な主婦向けの放射線測定器を開発したんです。10月に記者会見をしたら株価がストップ高になってテレビ取材も一気に来て、こんなに反響があるのかと驚きました。
角氏:回路の設計から部品の選定まで、震災から半年でやったんですか?それは早いですね!
奥平氏:日本の放射線に対するリテラシーを上げようというコミッティを作り、自動でシュパッとを作ってくれた会社なども協力してくれて、寝る間を惜しんで開発しました。基盤を設計する人、プログラムを作る人、大学の先生と関係者が全員やる気になってくれて、皆様のおかげで10月に発表できたんです。「僕らがやらなければ状況は変わらない」という使命感が凄かったですね。
角氏:その後はどうなったんですか?
奥平氏:いい話と悪い話があって(笑)。発売した機械は突貫で作り価格設定も無理をしていて、利益ゼロだったんです。機械的に設計を変えなければならない中で、タカラトミーさんから「実はうちでも作っていたので一緒にやらないか」とお声がけいただきまして、機械の製造をお任せして3カ月後に「エアカウンターS」という2号機を出しました。そこまでは良かったのですが、さらに性能が良いセンサーを見つけて、第3弾で「エアカウンターEX」を作ってしまったんです。
角氏:主婦はそこを求めてないですよね(笑)
奥平氏:値段も19800円。最初の製品は9800円で凄く売れて、次はタカラトミーさんと一緒に作っているから7900円で、使い勝手もいい。次にやったのが、高性能製品の開発です。メーカーに断られた心の傷もあって、彼らが作っている10万円以上の測定器を超える性能のものを1万9800円で作ってやろうとなってしまって…。案の定全く売れず、また在庫の山です。
角氏:いつの間にか競合が専門メーカーになっていたと。これは学びが深いですね(笑)
奥平氏:ウィルスアタッカーの時と全く原因が同じです。技術者の独りよがりの商品は売れないんです。
角氏:押し売りになってしまうんですよね。
奥平氏:プロはお金を出してでも、信頼があって高性能な製品を使います。主婦は出しても1万円です。2万円の商品を誰が買うのか。ターゲットを見失った商品開発をしてしまい、たった半年間の間に天国と地獄を味わいました。
後編では、エステーの新規事業であるクリアフォレスト事業について詳しく伺います。
【本稿は、オープンイノベーションの力を信じて“新しいことへ挑戦”する人、企業を支援し、企業成長をさらに加速させるお手伝いをする企業「フィラメント」のCEOである角勝の企画、制作でお届けしています】
角 勝
株式会社フィラメント代表取締役CEO。
関西学院大学卒業後、1995年、大阪市に入庁。2012年から大阪市の共創スペース「大阪イノベーションハブ」の設立準備と企画運営を担当し、その発展に尽力。2015年、独立しフィラメントを設立。以降、新規事業開発支援のスペシャリストとして、主に大企業に対し事業アイデア創発から事業化まで幅広くサポートしている。様々な産業を横断する幅広い知見と人脈を武器に、オープンイノベーションを実践、追求している。自社では以前よりリモートワークを積極活用し、設備面だけでなく心理面も重視した働き方を推進中。
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