日本人が今や当たり前のように享受している豊かな食生活とモノにあふれた環境は、国内の農業、林業、水産業や食品産業に従事する人たちの努力によって支えられている。ただ、機械化やテクノロジーの発達が各産業の効率化を促したとはいえ、依然として過酷な肉体労働がその基礎にあり、すなわち、その現場では危険と隣り合わせの状況で働いている人が少なくない。
とりわけ農林水産業においては労働者の高齢化が進み、高齢者の事故が目立ち始めている。農林水産省によると、農業は従事者全体の70%を、林業は同25%を、水産業は同38%を、それぞれ65歳以上の高齢者が占めているという状況。農業では毎年300名が農作業中の事故で亡くなり、林業では事故発生率が全産業の平均の5倍に達している。
こうした状況が改善されなければ、労働者の減少、産業の衰退、引いては日本の国としての持続可能性を損なうことにもなりかねない。そこで農林水産省は、2月に「作業安全対策」をテーマにした有識者会議を初めて開催し、続く3月17日に「農林水産業・食品産業の現場の新たな作業安全対策に関するシンポジウム」を実施した。なお、新型コロナウイルス対策として無観客で行われ、当日の動画は農林水産省のウェブサイトで見られる。
より安全な作業環境を目指すには、どのような考え方、取り組みが求められるのか。同シンポジウムでは、安全対策の実施方法、現場での進め方、健全な経営と安全の両立という3つの側面から、現場の作業安全を目指すうえでの有効な対策について意見が交わされた。
シンポジウムの冒頭では、農業分野の代表として鹿児島県指宿市で農業を営む「大吉(だいきち)農園」の大吉(おおよし)枝美氏が、林業分野の代表として群馬県の「吾妻(あがつま)森林組合」の吉田昭雄氏が、それぞれ作業安全に向けたこれまでの取り組みについて説明した。
大吉氏は、同農園で取り入れているGAP(ギャップ、Good Agricultural Practice=農業生産工程管理)と呼ばれる認証制度のうち、労働安全に関わる部分の概要と利点について解説した。GAPは食品安全、環境保全、労働安全などにおける持続可能性を目指す生産工程管理の枠組みで、同農園ではその一種であるJGAP(ジェイギャップ)の認証を2016年に、ASIAGAP(アジアギャップ)の認証を2020年2月に取得している。
GAPのうち労働安全に関わる取り組みは大別して8つ。「危険作業の把握」「服装および保護具の着用等」「機械等の導入・点検・整備・管理」「事故への備え」といった区分があり、たとえば「危険作業の把握」では、「作業工程ごとにリスク評価し、マニュアル化して労働安全のルール作りに結びつける」といった具体的な手法が定義されている。
大吉氏によると、GAPの認証取得は生産者としての信頼性が高まり、経営の改善、食品安全の強化、農作業の安全、事故防止に向けた従業員の意識改革など、多くの面でメリットがあると説明。GAP認証に向けた環境整備によって「一人一人が農作業安全を心がけることとなり、持続可能な農業につながる第一歩になる」と語った。
吾妻森林組合の吉田氏は、同組合が10年ほど前から取り組んできた経営改善に向けた活動について振り返った。2005年に4つの組合が合併して発足した吾妻森林組合だったが、資金繰りは厳しく、同時に労働災害発生件数が多いなどとして群馬労働局より「安全管理特別指導事業所」の指定を受けて危険な職場であると判断され、経営は危機的な状況にあったという。
その後の4年間、希望退職の募集やコンサルタントによる安全指導などを実施するも抜本的な解決に至らず、本格的な改革に取りかかったのは2009年から。特に効果を上げたのは、技術力向上や安全対策の徹底を目的に、現場作業者に対する技術力向上研修会を毎年継続的に開いたことで、それによって経営状況も上向きになったと説明した。
たとえば初年度には、山林における下草の処理に用いる刈払機について、刃の目立てを行う研修会を実施した。これは、刃が切れることにより、パワーの少ない軽量な刈払機でも同等の作業ができるようになり、その切れる刃をいかに長く維持することを考えれば、作業面積の拡大や作業者の疲労軽減を考慮したもの。これによりミスの抑制やけがの防止につなげることができた。
また、樹木の間伐方法についての研修会では、斜面に対して上下方向に倒すのではなく、横方向に倒す方法を徹底した。これによって斜面を上り下りしながら作業するような無駄な動きを減らし、こちらも疲労軽減によるミスの防止、作業面積の拡大につなげた。
組合では1年ごとに研修内容の拡充や見直しを図り、効率化や安全管理を徹底したことで、直近の5年間は無事故無災害を達成。経営も改善し、近年は黒字計上を続けているだけでなく、組合に所属する従業員の年収向上にも寄与している。吉田氏は、「当初は、作業安全が経営改善につながるとは考えていなかった」と話し、是が非でも進めなければならないという義務感が成功に結び付いたと振り返った。
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