とはいえ、私たちの日常生活や仕事がPC・スマートフォンといったデジタルデバイスやSNSなどのインターネットサービスと切り離すことができないという現実も否定できない。小池氏の説明を元に考えれば、スマートフォン・インターネットへの依存はこれからますます進んでいくことになるだろう。その先には、どのような社会が待っているのだろうか。
小池氏は、「脳への刺激が過剰に生まれることが問題ではなく、自己承認欲求という画一的な刺激によるドーパミンの分泌に過剰に依存してしまうことが問題だ。つまり、とにかくみんな『周りからどう思われているの?』というナルシシズムしか考えていない。ただそれだけで、SNSの運営会社は大儲けしている。みんなは、『私はどれだけ素敵?』と聞いて、周囲から『あなたはとっても素敵よ』と言ってもらうためだけに生きている。それで本当に良いのか」と語る。
その上で小池氏は、自分自身の本人特定性が担保された状況では表面上は皆が良い振る舞いを行い、一方匿名性が高い環境では批判やバッシングなど攻撃性の高い憎悪に満ちたコミュニケーションが生まれていると指摘。「同じ人がいくつもの顔をネット上で使い分けるのではないか」と語った。
「自己承認欲求が高まると、それを得るために人がさまざまなものを我慢するようになる。自分の“素”を出したら承認されないのではないかという不安から、表面的な振る舞いをするようになる。だからこそ、表面的な振る舞いの裏側にあるホンネとの乖離が大きくなるのではないか。自分の素敵な部分だけを見せて、素敵なことだけを発信して、素敵ではないと思う部分を隠してしまう。それによって強いストレスを感じるようになるのではないか」(小池氏)。
なぜ、匿名性の高いコミュニケーションは憎悪に満ちてしまうのか。憎悪というものは人間の深層にあるホンネによって生み出されるものであり、自分自身の内に秘めていない憎悪は出しようがない。つまり、ネット上に渦巻く攻撃的な言葉は、顔の見えないユーザーのホンネだとも言えるかもしれない。
「人間は本心を我慢した状態で生きていくと、不全感に陥る。思っていないことを言ったり、本当は楽しくないのに楽しいと言ったり、毎回そんなこと思うはずないのに、友人の投稿に無条件にいいね!と言ってみたりする“表面的な振る舞い”を重ねると、自己矛盾感が蓄積されていく。すると、その不全感が憎悪となり、匿名性の高いネット空間や身近な家庭でのコミュニケーションで攻撃性を生み出してしまう」(小池氏)。
こうしたことを踏まえ、小池氏はこれからの社会について「ナルシシズムに支配されている世の中は、さまざまなものを我慢してストレスをためながら表面上は良い人を振る舞う。少しくらい難儀な部分があってもいいのに、他人に評価されたいからそれをよしとしない。結果的に、窮屈で居心地の悪いものになるのではないか」と課題提起した。
では、こうした社会において私たちはどう生きていけば良いのか。小池氏は「個人個人が自分の心を自分で守っていくしかない」と提言した。「社会全体は窮屈で居心地の悪いものになってく中で、そうした状況に引きずり込まれない精神力と、さまざまなツールを使うときの心のコントロールをしていくことが大切だ」(小池氏)。
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