個人で楽しむためのダビング・ダウンロードはどこまでOKか - (page 3)

福井健策(弁護士・日本大学芸術学部 客員教授)2014年07月04日 11時00分

 さて、実は私的複製をめぐってはこうした論争はとても多いのです。というのは、私的複製の例外は今の著作権法が出来た1970年からあった規定ですが、当時は個人でできるコピーなどはとても小規模な、零細なものでした。

 しかしその後、デジタル化・ネット化の普及で個人が作品を複製・流通できる余地は飛躍的に広がります。音楽CDなどはものの数分でオリジナルと全く変わらない音質でコピーできますし、それをネットを通じて入手することも簡単です。

 その反面、音楽や出版などの「コンテンツ産業」の売上は、先進国では過去10年以上、ほぼ一貫して落ち続けています。原因は色々と議論されますが、作詞家・作曲家やレコード会社・出版社といった「権利者側」の危機感は深刻です。そして、いきおい海賊版や私的なコピーの広がりに対して神経をとがらせることになります。一方ユーザーは、テクノロジーの発達で格段に自由になった作品の流通や楽しみ方を制約されることに、強い警戒心を抱きます。

 こうした論争の背景には、「私的なコピーの功罪」という難しい問題が横たわっています。一方では海賊版や無許可の作品流通の広がりがあります。業者がいくら作品の無断流通で儲けても、漫画家やアーティストには一銭も入りません。「我々の苦労へのただ乗り(フリーライド)ではないか」という指摘もあります。

 他方で、テクノロジーでこれまで届かなかった人々や地域に作品が安価に届けられるようになったことを、もっと前向きにとらえるべきだ、という指摘も力を増してきました。音楽にせよマンガにせよ、ある程度「試し聴き」「試し読み」をさせないと良さがわからない。「私的コピーは、むしろ作品を拡散して最終的には売上を伸ばす上で貢献しているのではないか?」という指摘ですね。

 無論、海賊版で稼ぐのは明らかに行き過ぎですから、これは程度問題なのでしょう。つまり、盗作問題でも触れた「保護と利用のベスト・バランス」がここでも問われている気がします。

 その際の考える視点にはさまざまなものがありますが、たとえば「皆が同じことをしてもうまく回るのか、皆が同じことをしたら崩壊するのか」という想像は、シンプルですがヒントになるかもしれません。確かに、作品は人々に読まれ聞かれてはじめて価値があります。その意味で、私的コピーには積極的な意義があるでしょう。他方、仮に全てのユーザーが海賊版を無料や安価で入手して済ませるようになれば、恐らく映画産業も出版産業も瞬時に滅します。

 人々が作品により自由にアクセスできて、それでいて、作家やそれを支える会社の生活の糧を害さないためにはどうすれば良いか。そんな視点を持ち続けたいですね。

(続きは次回)

 レビューテスト(8):図書館で借りてきた本やCDからでも、個人的な用途のためならば基本的にコピーできる。○か☓か。正解は本文中に!

福井 健策(ふくい けんさく)

弁護士(日本・ニューヨーク州)/日本大学芸術学部 客員教授

1991年 東京大学法学部卒。1993年 弁護士登録。米国コロンビア大学法学修士課程修了(セゾン文化財団スカラシップ)など経て、現在、骨董通り法律事務所 代表パートナー。

著書に「著作権とは何か」「著作権の世紀」(共に集英社新書)、「エンタテインメントと著作権」全4巻(編者、CRIC)、「契約の教科書」(文春新書)、「『ネットの自由』vs. 著作権」(光文社新書)ほか。

専門は著作権法・芸術文化法。クライアントには各ジャンルのクリエイター、出版社、プロダクション、音楽レーベル、劇団など多数。

国会図書館審議会・文化庁ほか委員、「本の未来基金」ほか理事、think C世話人、東京芸術大学兼任講師などを務める。Twitter: @fukuikensaku

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