logo

【腎臓病の体験談】腹膜透析→血液透析→腎臓移植。移植のドナーは血液型の違う奥様!レシピエントはご主人。明るく楽しく生きるご夫婦です

NPO法人 腎臓サポート協会 2016年05月18日 12時00分
From Digital PR Platform


腎臓病と闘う人にとって、同じ病気を持つ先輩患者さんから聞く体験談は何よりも心の支えになるもの。NPO法人腎臓サポート協会の「腎臓病なんでもサイト」では、さまざまな患者さんに、病気の受けとめ方や乗り越えた経緯、ご家族のサポートなど、貴重なお話を伺っています。

今回の患者さんは、働き盛りの40歳でIgA腎症が発覚した大野さん。腹膜透析と血液透析で治療を続けていたところ、たまたま訪れたアメリカで腎臓移植を知り、移植の決意をされました。ドナーは血液型が違うものの、ほかの適合条件のあった奥様。手術から17年間たった現在でも、とても体調がよく、趣味のゴルフや海外旅行を楽しんでいるポジティブなご夫婦です。

(※職業・年齢や治療法は、取材当時のものです。)
――――――――――――――――――――――――――
■大野 政典さん(72才 男性)、妻 賀代子さん
――――――――――――――――――――――――――
患者さんプロフィール:
1943年12月生まれ、72歳。40代前半に会社の検診でIgA腎症が発見される。1988年腹膜透析(CAPD)導入。1994年血液透析(HD)に移行。透析をしながら趣味のゴルフや旅行を楽しんでいたが、米国旅行中に移植のすばらしさを知り、1999年妻の賀代子さんより腎臓を提供され移植。17年たった現在も異常なく、夫婦共に元気に毎日を楽しく暮らしている。

<記事の一部をご紹介!>

■血液型不適合でもクロスマッチでOK
―――――――――――――――――――――――――――
※インタビュアーはNPO法人腎臓サポート協会理事長の松村満美子

松村: 奥様から腎臓をいただいて移植なさったそうですが、いつですか?
政典: 1999年です。今年で17年になります。
松村: 移植の話しは奥様から言いだされたのですか?
賀代子: どっちが先というのではないのですが、血液透析(HD)をしているときにたまたまアメリカにいる友達のところに遊びにいって、移植の可能性があるという情報を知り、さらに移植の素晴らしさも聞いて、ぜひやりたいと思ったんです。

政典: 当時は仕事をしていましたので、帰国してから上司に相談したところ、海外での移植にもOKがでたので、それから真剣に考えました。
賀代子: 主人の親は高齢でしたし、姉が二人いるのですが、「腎臓をください」とはとても頼めませんでした。
政典: それでも「どうしても移植がしたい」と思い、海外での移植も考えたのですが、以前に診ていただいていた横浜市南部病院の尼ヶ崎安紘先生から「買った腎臓については一切面倒をみない」といわれ、思いとどまりました。
賀代子: 本当に、藁にもすがる思いでした。でも尼ヶ崎先生に率直にご相談したおかげで、「じゃ、奥さんどうですか?」と、いってくださったんです。

松村: 血液型は同じなんですか?
賀代子: いえ、違います。適合データとかについてはなにも知りませんでしたけど、「できるならやりますから調べてください」と、検査を受けました。
政典: そしたら、6つあるリンパ球のクロスマッチが3つ適合して、夫婦でこんなに合うなんて珍しいといわれました。
松村: 血液型不適合の移植ができるようになったころですね。今では、ABO型が違っても、リンパ球クロスマッチの相性がいいと、生着率がいいんですよ。それでお二人ともその後の調子はいかがですか?
政典: 二人ともとても元気で、まったくなにもありません。
賀代子: もし私の具合が悪かったら、主人はとても悲しむことになりますけど、二人共こんなに元気でいられるので、悩んでいる人たちには、ぜひお勧めしたいと思います。

■仕事を続けながらPD、HDを経験
―――――――――――――――――――――――――――
松村: 原疾患はなんですか?
政典: IgA腎症です。会社の健康診断で指摘されました。40歳になったばかりでした。
松村: 治療はきちんとしていたんですか?
政典: 1~2ヶ月に1回病院にいき、塩辛いものは避け、タンパク質制限もいつも頭の片隅にありましたが、年齢的にも責任あるポストを任されていたので、制限が甘かったかもしれないと思っています。

松村: いつから透析を?
政典: 1988年です。仕事と両立したかったので腹膜透析(CAPD)を選びました。
松村: 透析液の交換はどんな間隔でなさってたんですか?
政典: 朝1回、会社で1回、夕方と寝る前の1日4回です。
松村: 会社で透析液の交換をするのは問題ありませんでしたか?
政典: 会社がとても理解があって、そのために一部屋用意してくれました。仕事も負担が少ない部署に変えていただき、なんとかやっていました。

松村: 腹膜炎は大丈夫したか?
政典: 導入したばかりのころにちょっと危なかったのですが、抗生物質で抑えることができ、その後は順調でした。でも6年目に腹膜炎を起こして、血液透析(HD)に切り替えました。
松村: HDは週3回でしたか?
政典: 月水金で、仕事を4時半で帰らせていただき、透析にいってました。
賀代子: HDになってからは本当に辛そうで、毎回、車で迎えにいっていたんですよ。
松村: 夜ですか?それは大変でしたね。お子さんたちはどうしてたんですか?
賀代子 : あのときは本当に大変でした。私も仕事を持っていましたので、午後6時半くらいに帰宅して子供にご飯を食べさせ、義母の介護もしていたので、よくやったと我ながら思います。

<後略>


記事の続きはこちらで
リンク

▼▼患者さんの体験談~一病息災~ バックナンバー▼▼
リンク


本プレスリリースは発表元企業よりご投稿いただいた情報を掲載しております。
お問い合わせにつきましては発表元企業までお願いいたします。