VRIコラム

IR資料に英文開示を--「公平開示」はIR活動の基本

米山徹幸 (PFP(Project Future Proof)研究所 フェロー)2022年12月02日 11時30分

 IR(投資家向け広報)活動には、「どの株主・投資家に対しても重要情報は同じ内容で同時に広く発信する」という公平開示原則があります。国を問わず、IR活動の基本です。そこには「企業情報が投資家の信頼を得られないなら、投資家は逃げ去り、市場も消滅する」という先人の積年の英知が込められています。

見当たらない英語版の有価証券報告書

 この10年、日本株式市場は外国人投資家による保有比率は3割前後、その売買比率は約6〜7割で推移しています。「日本企業の株価は外国人の売買動向に左右されている」と語る市場関係者は少なくありません。外国人投資家から適切な評価を受けるためには、英語情報の発信がなによりも大切です。

 そんな外国人投資家が日本企業の情報を求めるとき、まずアクセスするのが、英語版のIRサイトです。

 各社のIRサイトに用意された「IR Archive(IR資料)」や「IR Library(IRライブラリー)」に、多くが英文の決算短信や株主総会関連資料、アニュアルレポート/統合報告書などのIR資料をアップしていますが、なぜか日本語版のIRサイトに掲載されている有価証券報告書(有報)の英文版はほぼ見当たりません。

 有報は、投資家に対して投資判断に有用な情報の開示を目的とするもので、株式などを発行する企業が決算日から3カ月以内に自社の業務内容や役員、財務諸表などを金融庁に提出する法定文書です。企業を知ろうとする投資家やアナリストが、もっとも信頼する第一級の資料です。米国ならSEC(証券取引委員会)の様式10-K(年次報告書)に相当します。

 有報の英文版について、これまでも「海外の英語圏以外の市場で、英文開示化の動きが進んでいる」や「情報は、英語、日本語そのほかの言語で全く同じ情報を伝える必要がある」といった意見がある一方で、「今ある有価証券報告書を単純に英訳しただけでは、恐らく海外の投資家には理解されない」との見方も根強いものがありました。

 このため、「多くの企業は全面的な英文ではなく、できるところを英文にするやり方で対応してきた」といいます。そのせいでしょうか、2021年7〜8月に東証が海外機関投資家に行った「英文開示を必要とする資料」を問う調査によると、「必須:英文開示がない場合は投資しない」に、有報は35%の回答を集めました。

 つまり、英文の有報がない場合、3社に1社が投資しないと言っているのです。驚くべき事態です。

金融庁:英訳版「有価証券報告書」の社名リスト発表

 じつは、そんな有報の英文開示状況を見直す動きが、この数年前から始まっています。2018年6月、金融庁の金融審議会「ディスクロージャーワーキング・グループ報告」は、「現在、(略)有価証券報告書の英語版はほとんど作成されておらず、例えば有価証券報告書記載の政策保有株式に関する情報が海外投資家に十分知られていないといった指摘がある」と語り、「企業の有価証券報告書の英訳を慫慂(しょうよう)するために、金融庁のウェブサイトで有価証券報告書の英訳を実施している企業の一覧表を公表する」取り組みを実施すべきである、と提案したのです。

 さっそく金融庁は、翌年の2019年2月、EDINETに英訳版の有価証券報告書を提出した企業の一覧表を掲載します。社数は日清製粉グループやコマツ、日産自動車、松井証券、日本電信電話やNTTドコモなど12社。2021年7月に28社となり、2022年10月には大成建設やタカラバイオ、日本製鉄など41社と増加をたどっています。

東証の全上場会社調査:有価証券報告書の英文開示は264社へ

 これに連動するように、IR資料に英文開示を求める動きも勢いを増していきます。2021年6月の改訂コーポレートガバナンス・コードは、それまでの「上場会社は、自社の株主における海外投資家等の比率も踏まえ、合理的な範囲において、英語での情報の開示、提供を進めるべきである」に続いて、翌年4月の東証市場再編に合わせ、「特に、プライム市場上場会社は、開示書類のうち必要とされる情報について、英語での開示、提供を行うべきである」と書き込んでいます。

 2022年7月、東証が全上場会社(3770社)に行った英文開示実施状況の調査によると、英文開示の実施率はプライム市場の上場会社で92.1%(1692社)、全市場56.0%(2113社)でした。

 これを資料別でみると、プライム市場上場会社で多い順に、決算短信が77.1%(1417社)、株主総会招集通知(通知本文)が76.1%(1398社)、IR説明会資料61.1%(1123社)で、他方、英文開示が30%に届かない資料では、コーポレートガバナンス報告書が24.5%(450社)、有報が13.3%(245社)です。

 この東証の調査によると、有報の英文開示は全体で264社、プライム市場では245社です。金融庁のEDINET掲載リストにあった41社とは大きく違います。それだけ金融庁EDINET掲載のハードルは高いのかもしれません。

 どちらにせよ、有報の英文版作成は、全訳が部分訳かは別にして、かなりの広がりがあり、他方、これから作成に乗り出す企業も相当な社数が見込まれると言っていいでしょう。

強まる英文開示の勢いに対応する

 では、有報を含め、外国人投資家や国内当局が求めるIR資料の英文開示の勢いに各社はどんな対応をしていくのでしょう。

 もちろん、「一定水準以上の英文開示」を実現する体制や人材確保、機械翻訳や関連するITソリューションなど関連する課題はIR部門を超えた経営の課題です。それでも、各社のIR現場からは、(1)英文開示の対象書類を段階的に広げていく、(2)社外の翻訳に強いIR支援会社の協力を得て、IR部門がデイレクション(業務進行管理)を行う――といった対応が聞こえてきます。

 ところで、ここで忘れてならないのは、海外機関投資家の「日本語で開示している情報はすべて同じタイミングで」「要約でなく全部、英語で開示すべきである」といった不満の声です。

 それは、日本語と英語にあるIR情報の格差の是正、縮小を求める声なのです。IR担当者はわかっています。「公平開示」を求める声なのだ、と。


◇ライタープロフィール
米山 徹幸(よねやま てつゆき)
IRウォッチャー、PFP(Project Future Proof)研究所フェロー。全米IR協会(NIRI)会員。

大和証券(国際部)に入社後、ロンドンなどで各国の政府機関や企業の資金調達と資産運用、M&Aビジネスを担当。大和IR、大和総研を経て、埼玉学園大学大学院教授。
主な著書に「大買収時代の企業情報」(朝日新聞社)、「イチから知る!フェア・ディスクロージャー・ルール」(金融財政事情)、「新版 イチから知る!IR実学」(日刊工業新聞社)など。

この記事はビデオリサーチインタラクティブのコラムからの転載です。

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