新型コロナのパンデミックで、オンライン学習の需要は今後も伸びていくだろう。しかし、日本でも、全国の小中学校に1人1台の端末導入が始まったものの、運用面や利活用のノウハウが確立されておらず、各所で課題も上がってきているのが現状である。では、近未来における教育のあり方とはどのようなものになるのだろうか。その議論や取り組みのなかでは、教育分野におけるVR導入が注目されている。
今でこそ「メタバース」、そしてFacebookが社名を「Meta」に改名したことによって大きく注目されることになったVR業界だが、もともとVRは教育分野に特化していた。リンクシミュレーターやフライトシミュレーターなどとも呼ばれる、終戦前に作られたシミュレーションシステムがVRの始まりである。車の教習所で扱われるドライブミュレーターも一種のVRと言っていいかもしれない。第二次世界大戦におけるパイロットの多くも、そういったシミュレーターを活用していたと言われている。つまり、VRの原型は戦時中から存在していた。
米国ではすでに大学の授業でVRが活用され始めている。スタンフォード大学では、VR HMDであるOculus Quest 2とVR環境を活用して行われるコース「Virtual People」が実施されている。学生はVR環境に没頭し、VRについて学ぶことができる。授業では、VRが文化面やエンジニアリングなど、エンターテイメント以外で、VRがどのように浸透し、進化してきたかをリモート講義の形式で学ぶ。他にも、コマンドとプログラミングを組み合わせて、VR環境を構築する演習も受けることができたり、VR内での課外学習として、人種的不平等に直面した男性の人生を体験することで、人種的寛容さを学べるコンテンツなどもある。バルセロナ大学のMel Slater氏による潜在的な人種差別に関する研究では、VRが偏見の意識を弱めることができることが実証されている。彼の研究は、白人女性に没入型VRテストを施し、黒い肌をもつアバターを与えるというものだった。黒人の視点から物事を見ることによって、被験者たちの黒人に対する偏見は顕著に弱まったという報告がされている。
スタンフォード大学人文科学部のThomasMore Storke教授であり、コミュニケーションの教授であるJeremy Bailenson氏は、2003年から「Virtual People」コースを教えているが、VR技術の進歩により、クラス全体をVRで教えることができるようになったのはごく最近のことだという。 コースの先生と学生は、夏の四半期にVR環境で6万分以上を一緒に過ごし、秋には約14万分を一緒に過ごすと予測されている。「Virtual People」では、学生はVRを数回試すだけではない。 VRは、彼らが依存する媒体になる」と、スタンフォード大学のバーチャルヒューマンインタラクションラボ(VHIL)の創設ディレクターであるBailenson氏は述べている。これまでのVRの歴史の中で、あるいは教育の歴史の中で、一度に数カ月間、VRヘッドセットを介して何百人もの学生をネットワーク化した人は誰もいない。 これは信じられないほどの規模のVRの取り組みである。
通常、教育の世界では、「間違えることは悪いこと」という考えが念頭にある。一般的な学校教育では、問題に対する答えが必ず存在し、テストも「限られた時間内でどれだけ正確な解答を導き出せるか」を測定するものになってしまい、堂々と間違えられる機会がない。また、人は、自己の死から学ぶことができない。すなわち、命に関わるような危険な体験は伝聞でしか学習できないという障壁があった。それを、命の危険がないように安全に体験できるようにしたり、失敗しても何度でもコンティニューできるのがVR学習の良さの一つだろう。どんどん間違えさせる。間違えさせて、その都度新しい気づきを得られるような設計にしていくことが重要である。人によって、能力の違いや適正、最適な学習方法が異なるが、VRではそういった変数の調整が難しくないため、段階的なトレーニングにも適している。身体を使った体験という意味では、スポーツの分野においても相性が良い。
このような考え方を応用した研究として、イマクリエイト社の川崎仁史さんが開発したけん玉トレーニングVRがある。けん玉が苦手な方でも、けん玉の動きをVR技術でスローモーションにすることで、対応しやすくなる。遅いスピードに慣れてきたら徐々にスピードを上げて、現実世界の動きに近づけていくことによって、実際にけん玉ができるようになるのだ。けん玉が苦手な人でも僅かな時間で成功されることができる。失敗ばかりしていると人は、やる気をなくしてしまうものだが、重要なのは失敗体験よりも、むしろ成功体験の積み重ねである。適切な成功体験を重ねることで、人は学習し成長していくことができる。VRではそうした成功体験ができる環境を用意し、その人の能力を最大限引き出すことができる。
おもしろい事例としては、外国の日常生活をバーチャル上で体験しながら語学を学習していくというケースもある。
筆者自身も、VRで言語学習ができるアプリの開発を進めていた。VR環境内で、AI相手に会話をして、音声は自動解析される。そして、即座にフィードバックをユーザーに返し、正答率が高ければ次の会話に進む、というような学習アプリ(ゲーム)のデモだ。
日本人はどうしても、人前で習熟していない英語を話すことに抵抗があったり、日本国内で外国人や海外の文化に接する機会少なく、また英語学習を始めたはいいが、上達が具合が分かりにくくモチベーションが維持できないなどの問題がある。VR環境であれば、外国人相手にいきなり会話することに抵抗のある方でも、見えている相手がアバターであれば、その障壁は下がり、自分の話したことが即座に数値としてフィードバックが返ってくるため、既存の学習よりも効率性が高く、またわざわざ高いお金を払って海外へ留学するコストも下げられる。さらに発展させていくと、目で見た日本語の文章を英語に変換させてくれて、言語の学習に活かすこともできるだろう。
他におすすめできるのは、科学実験系である。これを活用すると、例えば「色のメガネ」として色弱の方が見えている世界を体験できたり、弱視の人が見えている世界を体験することでバリアフリーのデザインに活かせたり、さらには、昆虫が見た世界というのも体験できる。また、現実世界では扱いが難しい危険物質の実験も、VR環境では現象をプログラムしておくことで、なぜそれらの物質が危険なのかということを体験学習することができる。つまり、「混ぜるな危険」を実際に行うことができるのである。
米国の大学や、その他教育機関は徐々にVRを学習に導入し始めている。しかし、それが当たり前になるには、道はまだまだ長い。カリフォルニア大学バークレー校では、マインクラフト学位授与式が行われ、VRやメタバースのイベントを試した大学もあるが、このような事例はまだ一時的なもの。とはいえ、メタバースやVRオフィス、そしてVR教育体験が増大しているということは、もし今後、仮想空間での学校教育が普及するのなら、Zoomを使った授業がVRに移行していく可能性もある。VRは日本語で「仮想現実」と訳され、非現実というイメージが強いが、仮想は新たな現実という認識になる日も近いかもしれない。
齊藤大将
Steins Inc. 代表取締役 【http://steins.works/】
エストニアの国立大学タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究。バーチャル教育の研究開発やVR美術館をはじめとするアートを用いた広報に関する事業を行う。
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