大企業のなかで新規事業の創出やイノベーションに挑む「社内起業家(イントレプレナー)」たち。彼らの多くに共通しているのは、社内だけでなく社外でもアクティブに活動し、横のつながりや幅広い人脈、あるいは課題を見つける観察眼やその解決につなげられる柔軟な発想力を持っていることだ。
この連載では、そんな大企業内で活躍するイントレプレナーにインタビューするとともに、その人が尊敬する他社のイントレプレナーを紹介してもらい、リレー形式で話を聞いていく。
今回は、東芝からスピンオフしたIDDK代表取締役の上野宗一郎氏。デジタルカメラに使われるようなイメージセンサーを利用することで、観察対象を直接画像で捉えられる「マイクロイメージングデバイス(MID)」を開発し、従来のレンズを使用した顕微鏡では不可能だった新たな顕微観察の世界を広げようとしている。
——まずは、これまでの経歴を教えてください。
IDDKの上野と申します。大学ではハイパースペクトラムという光で物体を可視化する光学技術について研究し、その技術を用いた製品開発事業で大学発ベンチャーに関わった後、2007年に東芝に入社しました。
東芝では半導体関連の事業部で携帯電話のカメラなどで使われるイメージセンサーの設計開発を10年ほど経験し、その間に思いついたMIDという顕微観察の技術を用いた現在の事業につながるアイデアが、「Toshiba Startup」という社内ベンチャー支援制度に採択されました。
ただ、2016年に別の会社で事業化を目指していたのですが頓挫してしまい、その後、2017年に東京都が運営しているStartup Hub Tokyoの支援を受けながら、今のIDDKという会社を立ち上げた形になります。
——一度は挫折を味わったわけですね。
それ以外にも、当初はToshiba Startupを通じて、東芝から出資を受ける形で独立するカーブアウトスキームを前提に事業化を進めていたんですが、ちょうどその頃、東芝の粉飾決算の問題があって出資を受けられる・受けられないというところで紆余曲折あり、最終的にスピンオフという形になったという経緯もあります。
それでも、最近では東芝からのカーブアウトで立ち上がった細胞培養管理プラットフォームのサイトロニクスがありますし、東芝とエイベックスの合弁会社として生まれたコエステなどもあります。東芝に原点のある事業がだんだん外に出てきていますよね。
——何度も壁にぶつかりながら諦めずにチャレンジを続けた。そのモチベーションはどこにあったのでしょう。
1つは顕微観察という技術そのものですね。特許も取得した自分の技術であり、生みの親であるということが技術者としてのモチベーションになっていたました。もう1つは、当時この技術の事業化についていろいろな人にヒアリングしていたところ、再生医療の実用化研究で知られる理化学研究所の辻孝先生に、事業化をすごく応援してくれたんです。そんな風に認めてくれる人がいたことも大きな支えになりました。
——東芝の中で事業展開するという選択肢はなかったのでしょうか。
東芝の中で進めていくにはいくつかハードルがありました。まず、東芝が顕微観察の事業をそもそもやっておらず、事業の引き受け手がなかったことです。半導体の事業部で引き受けるにしても、モバイル端末のイメージセンサーのような事業規模の大きなものを開発しているようなところですから、年間100億円クラスの市場が見えるものでないと「モバイルをやってる方がいいよね」っていうことになってしまう。
ただ、東芝という会社がこの技術に興味がなかったかというと、そういうわけでもありませんでした。いろいろな事業部に話を聞くと、「お客さんになってもいいよ」と言ってくれるところはたくさんあった。当時社内にあった医療部門の東芝メディカルやヘルスケアの部隊はぜひ使ってみたいと言ってくれました。でも、顕微観察の事業そのものをやろうというところはなくて、だったら社外に出して展開しよう、ということになったんです。
——そうして生まれた「MID」という技術について詳しく教えていただけますか。
「いつでも、どこでも、誰でも使える顕微観察技術」、これを世の中に広げていくことがIDDKのビジョンとなってます。その言葉の頭文字を取って「IDDK」という社名にしているぐらいなんですけど、これを支える基幹技術がMID、マイクロイメージングデバイスという技術です。
MIDは、大学発ベンチャーのときの光学技術と、東芝に入ってから学んだ半導体技術を組み合わせて作り上げた、新しい顕微観察手法です。従来の顕微鏡はレンズで物を拡大して見る技術であるのに対して、MIDは半導体、カメラのイメージセンサーみたいなデバイスの上で見る技術になります。
ドットで構成された高精細なメッシュのイメージセンサーで対象物を捉えると、顕微鏡のレンズを通して見たものと同じような世界を見ることができます。ただ、通常の顕微鏡はガラスのプレートに対象物を載せて、レンズでその一部を拡大して画像を得ることになりますが、MIDでは物を載せるだけで見ることができるという違いがあります。
——物を載せるだけで見られるというのは面白いですね。通常の顕微鏡と比べた強みはどこになるのでしょうか。
通常の顕微鏡は個人向けのものでもそこそこ大きいと思います。研究者などのプロフェッショナルが使う倍率の高い顕微鏡だとさらに大きくなります。そういったものを持ち運んでいろいろな場所で使うのは現実的ではありません。
対して、MIDはレンズのような光学的な機構が一切ないので小さく、持ち運びも楽ですし、自在に配置できます。たとえばMIDに川からすくった水を垂らすだけで、そこにいるプランクトンなどがUSBやワイヤレスで接続したパソコンの画面上で映像として見えるようになります。
「顕微観察をするのは研究所の中だけでは?」と思われるかもしれませんが、実は、自分たちの生活を支えているインフラにも今は顕微鏡がよく使われているんです。
たとえば、飲用水の浄水には生物浄水といって微生物の力を使っているものがあるんですが、その水がきれいかどうかをチェックするには顕微鏡が必要です。医療分野でも、手術の時に患部を顕微観察したり、エレベーターやエスカレータのような油圧作動部品があるものは、潤滑油の中に小さなゴミが入ってしまうと故障につながるため、顕微鏡でチェックしていたりするんですね。
今は観察対象を現場で抜き取って、研究所に持ち帰ってから調べることがほとんどですが、MIDを使うとその場その場ですぐに見ることができます。今の時代、移動を減らして作業できるという点でも大きな意味がありますし、遠隔医療にも応用できます。周辺の空気が綺麗かどうかをチェックすることもできるので、花粉や化学物質を検出したときに即座に対策を取ることも可能です。
——大幅にコンパクト化できることが1つのメリットというわけですね。
小さいので数を増やしやすいという利点もあります。だいたいの研究室では、大きな顕微観察装置が1台か2台あって、それを研究者全員で順番に使い回してるような状態です。ここにMIDによるコンパクトな顕微観察装置を導入することで、研究者1人が1台ずつ高性能な観察装置を持てることになる。そうすれば研究開発がさらに加速していくはずです。
1人1台あってもまだ足りない実験もあります。たとえば創薬ですね。いろいろな薬の相互作用を確認しなければいけないので、膨大なパターンの薬品の組み合わせをチェックしなければいけません。そこに多数のMIDを導入することで複数の実験を同時並行で行えますから、たった1人でも実験をスケーラブルにコントロールできる世界を作れます。
しかも、これは小さなイメージセンサー1チップで観察できる技術です。ここに細胞培養や分析を行う機能も追加して1つのユニットにまとめてしまえば、さらに実験が効率化できます。それが100万ユニット存在する研究センターみたいなものを作れば、研究者はそれに対してリモートから条件を設定して、一斉に実験をする指令を与えるだけでいいんです。
こうした「クラウドラボ」のコンセプトが実現すると研究はもっと進化すると考えて、最初の製品として細胞観察向けの顕微観察装置「Cellany(セラニー)」をすでに販売開始しています。
あとは構造という意味でも顕微鏡とは大きく異なっています。MIDはピント合わせなどの調整箇所がないんですよ。水中で顕微鏡を使おうとしても複雑な可動部分があるので浸水などの対策や操作上の工夫が必要ですが、1チップのMIDならそのまま水中に入れるだけで見られます。
——販売価格はいくらくらいなのでしょう。
Cellanyの標準価格は55万円です。プロユースの顕微鏡が30~150万円なので、それと比べると特段安くもなく高くもなく、という価格帯ですね。
——MIDはあくまでも業務用の製品として展開していくのでしょうか。
BtoBのプロジェクトを続けながら、BtoCの世界にも挑戦してみたいと思っています。USBスティックほどの大きさで、子どもたちでも使えるようなMID製品を、購入型クラウドファンディングのMakuakeで発表しました(定価は5万5000円で、2021年8月30日まで支援募集中)。センサー部分に水を垂らしたり、そのまま水の中に浸けたりして使えます。
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