菅政権の誕生で最も注目されているのがデジタル庁だろう。報道によれば、「官民問わず能力が高い人材が集まって社会全体のデジタル化をリードする組織にする必要がある」と菅首相が語っている。
ここでは「社会全体のデジタル化をリードする」という点が非常に重要だ。そもそも、日本はデジタル後進国である。いま、多くの国民がそのことを痛感している。
10万円の現金給付は、行政機関のデジタル化の必要性を白日のもとに晒した。行政機関の現場の方々は大変な業務だったと思うが、課題が明るみになり社会的な教訓を得た。
プラスに解釈して前に進んでいきたいところだ。河野太郎行政改革・規制改革相は早速、印鑑廃止やペーパーレス化を掲げた。まずは、印鑑使用の原則廃止を全府省に要請したと報道されている印鑑の弊害はかなり前から指摘されていたことだ。日本の未来のために印鑑を全廃すべきである。
電子政府で世界をリードするのはエストニアである。2018年、私もエストニアに視察に行き、政府の広報担当者から話を聞いた。エストニアでは行政手続きの99%をオンライン上で完結でき、国民の98%が電子IDカードを所有している。
この電子IDカードとは日本のマイナンバーカードに相当する。日本政府も、エストニアなどを参考にしながら電子化に取り組んでいる最中だときく。エストニアにできて日本にできないはずがない。日本政府はデジタル庁を中心にして、電子政府化を推進して欲しい。
菅首相が掲げるように、社会全体のデジタル化を断行するためには電子政府の実現だけでは不十分だ。そのためには、日本の産業全体を根本的に転換する必要がある。デジタル庁はそのリーダーシップを発揮すべきだ。
日本はまだまだ、「モノづくり大国」の夢から覚めていない、と私は感じている。「モノづくり大国」を脱却しなければ、社会全体のデジタル化は不可能だ。といっても、日本の国家戦略に、明示的に、「モノづくり」を否定するような文言を入れるのは難しい。
「モノづくり」に関わる方々は多く、その方々への配慮が必要になるからだ。だが、社会全体のデジタル化を推進するには「モノづくり」の次のフェーズに進む必要がある。日本政府の「Society5.0」にはそのような意図があるはずだ。
「Society5.0」のビジョンは、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会(Society)」となっている。
「モノづくり」とは、フィジカル空間のモノにだけ焦点を当てた言葉だ。「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合」するというビジョンは、「モノづくり」だけでは実現し得ない。
ポスト産業資本主義という言葉がある。先進国は、産業資本主義からポスト産業資本主義にシフトした。だが、日本はまだまだシフトできていない。デジタル化が遅れているからだ。
「ポスト産業資本主義を代表する会社として、アメリカのマイクロソフト社の名を挙げることに異議をとなえる人は少ないでしょう」と、元東京大学経済学部長の岩井克人氏(現、東京大学名誉教授)は、著書『会社はこれからどうなるのか』で書いている。
産業資本主義からポスト産業資本主義への構造変化で、利潤の源泉が、機械や設備から、知識や能力へと急速に転換する、と岩井氏は主張している。
この単行本は、2003年に出版された。その後、世界はさらに変化した。GAFAが台頭し、中国のBATが驚異的な成長を遂げている。マイクロソフトは、1995年の「Windows95」で世界を席巻した。この「Windows95」は、ソフトウエアである。
つまり、大規模な機械や設備を使って作ったのではなく、プログラマーやエンジニアの知識や能力を駆使して生み出されたものだ。「Windows95」とは、人間の頭の中から生み出された「情報」をパッケージしたソフトウエアと言っていい。
1998年創業のGoogleが、「世界中の情報を整理し、世界中の人がアクセスできて使えるようにすること」をミッションに掲げた。このミッションは、ポスト産業資本主義の利益の源泉が「モノ」ではなく「情報」(その後、「データ」)へと移行したことの証左となった。
Appleは1990年代、OS市場ではマイクロソフトの後塵を拝したが、その後iPodやiTunesで音楽(これも「情報」)の流通革命を起こした。音楽をCDというパッケージ販売から解放し、ネット経由で1曲からでも販売・購入できるようにした。
このとき、Appleの提供するシステムは、音楽事業者と音楽消費者という2種類のユーザーを対象にした。いわゆる、二面市場である。プラットフォーマーの特徴として、二面市場あるいは三面市場を作り、そこで情報のマッチング、あるいはニーズのマッチングをおこなってビジネスをおこなう点がある。
需要側と供給側のプレイヤーを取り込んで、それぞれから情報を引き出して取引を効率化していく。たとえば、Googleの検索エンジンも、世界中のウェブサイトを構築している人たち(供給)とウェブサイトの情報を探している人たち(需要)をマッチングしている。
一つ一つ説明しないが、Amazonや楽天のようなECも同様の構造があるし、UberやDiDiのような配車サービスも同じだ。情報とデータを駆使して、需要と供給の効率的なマッチングをおこなっているのが共通する特徴だ。
産業資本主義の代表的な企業は、トヨタのような会社になる。大規模な設備や機械で「モノづくり」を得意としてきた。だが、ご存知のようにテスラの時価総額がトヨタを抜き自動車業界で首位に立った。
「テスラの技術革新のスピードは、自動車メーカーよりもグーグルやアマゾンに似ている」とのことだ。トヨタの首位陥落が象徴するのは、「モノづくり」の終わりであり、「産業資本主義の終焉」だ。
もちろん、世界からモノがなくなることはない。だが、モノだけでは、付加価値を生み出せない。世界的な生産性の上昇で、モノは溢れているからだ。その証拠に、デフレ傾向は収まる気配がない。
いくらクオリティの高いモノを作っても、それだけでは付加価値がないということだ。私は「モノづくり」を否定するつもりはない。 だが、モノだけでは差別化できない。
より良いモノがあって、さらに付加価値を加えるために「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合」することが必要なのだ。トヨタは、すでにMaaS戦略を打ち出して、改革に取り組んでいる。クルマというモノを売るのではなく、モビリティを提供する企業へと脱皮するということだ。
「Society 5.0」のビジョンやトヨタのMaaS戦略などのように、日本にはすでに変化の兆しがある。
デジタル庁は、印鑑廃止やペーパーレスの実現など行政手続きのデジタル化だけではなく、さらに「モノづくり」の次の時代を切り開くために努力して欲しい。「モノづくり」から脱却するというのは、大きな価値観の転換だと思う。
そのためには、まずはデジタル庁がリーダーシップを発揮して、日本の産業界全体に意識変化を起こすことを期待したい。「モノづくり大国」はもう終わった。
我々は、「モノづくり」の夢から覚めなければならない。その意味で、デジタル化とは、初心にかえってプライドを捨てて、アメリカや中国、あるいはエストニアなどから謙虚に学び、日本社会を再構築していくことなのだと思う。
この記事はビデオリサーチインタラクティブのコラムからの転載です。
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