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Apple Watchの発売から5年--「アップルに破壊されたスイスの時計業界」は本当なのか? - (page 2)

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もっとも悲観的なら絶滅、楽観的なら大きく伸びる

 価格帯で見ると、200スイスフラン以下の時計は、2000年度と2019年度で、出荷本数は半分、出荷額で言うと4割減である。スイスのメーカーのようなブランドではない、中国、香港などのメーカーにとって、事態はより深刻だろう。

 1000ドル以下は、スマートフォン及びスマートウォッチの出現により、濃淡はあれども、影響を受けたとは言える。しかし、時計業界へのダメージは大きかったのかというと、そうとは言えない。スイス時計産業の出荷額を見た場合、2000年度の92億7600万スイスフランは、2019年度には204億6600万スイスフランと倍以上に成長した。スマートウォッチが出現した2015年度と比較しても、わずかに成長している。2016年度は前年比マイナス9.9%の減となったが、これはスマートウォッチの出現によるものではなく、短期的に中国の需要が減退したためである。

 なおスイス時計メーカーの日本に対する出荷本数を見ると、2018年度の時点で、1000スイスフラン以下の時計(それらのほとんどはクォーツ時計である)は68.04%を占めていた。ただし、売り上げベースで見ると、たった8.61%しかない。筆者が持っているのは日本への出荷本数のデータのみだが、他の国もおおむね同じと推測できる。つまり、1000スイスフラン以下の時計の出荷本数が半減しても、売り上げに与えるインパクトは小さかったし、各メーカーが機械式時計を載せた高価格帯に向かいつつあることを考えれば、影響はさらに縮小するだろう。今や、スイスだけでなく、中国や香港、そして日本のメーカーも、スマートウォッチとは被らない価格帯に進出しようとしている。データだけを見ると「アップルに破壊されたスイスの時計業界」というのは、むしろ逆なのである。

 もっとも、スマートウォッチの出現は、時計産業に長期的なインパクトを与えるだろう。これに関する予測はさまざまで、筆者は正しく判断するすべを持たない。もっとも悲観的な意見は、『スマートウォッチの出現で既存の時計は絶滅する』であり、もっとも楽観的な意見は、『市場全体は大きく伸びる』である。現時点での筆者の予想を言うと、今後スマートウォッチを使う人たちはますます増えるだろうが、ある一定の所で揺り戻しがくる、だ。

 米国の調査会社であるNPDは、2018年時点で18歳から34歳の米国人は、4人に1人(23%)がスマートウォッチを所有していると推定した。そして、NPDやユーロモニターといった、主要なリサーチ会社の調査結果が示すとおり、その割合はますます高くなるだろう。と考えれば、スマートウォッチが既存の時計メーカーをひっくり返すという主張には、説得力があるように思える。

スマートウォッチの普及は鈍化すると考える理由

 ただしスマートウォッチの普及は、ある程度の時点で鈍化すると筆者は考えている。というのも、いわゆる「ミレニアル世代」が老眼になった場合、スマートウォッチの小さな画面を読み取れるかは正直疑わしいからだ。これには前例がある。Appleを含む多くのテックメーカーは、老眼になりつつあるコアユーザーをつなぎ止めるため、モデルチェンジの度にスマートフォンのサイズを拡大してきた。巨大化したiPhone”Pro”が示すのは、NetflixやYouTubeといったオンラインサービスの充実というよりも、使用するユーザー層の高齢化ではないか。

 ドイツのオンラインサービスであるStatistaは、毎年スマートフォンユーザーの年齢調査を行っている。興味深いのは、2012年から2018年までのイギリスにおけるスマートフォンユーザーの推移である。この調査によると、2012年は、45才から54才までのユーザーの46%しかスマートフォンを使っていなかった。しかし、その割合は2018年には87%まで急増した。55才から64才までの年齢層を見ると、割合は9%から71%まで増えている。タブレット市場の大きな米国は別として、他の国も、同じような傾向にあるとは言えるだろう。大きなスマートフォンが市場に増える一因だ。

 スマートフォンで起こったことは、遠からぬうちに、スマートウォッチの世界でも起こるだろう。しかし、腕の太さは決まっているため、スマートフォンのように視認性を上げるためにサイズを拡大するのは難しい。Apple Watch Series 5は傑出したスマートウォッチだが、すでに大きくなった44mm及び40mmというサイズをさらに広げるのは不可能だろう。時計業界のセオリーを言えば、使える時計のケースサイズは、最大でも45mmなのである。

 もしもシリコンバレーの優れた技術者が、腕上で広がるホログラムを開発すれば、サイズと視認性という問題は一挙に解決されるかもしれない。しかし、そうなるには、バッテリーというボトルネックが立ちはだかっており、容易に解決されるとは思えない。

 仮にスマートウォッチを通じて、時計を着けることに慣れたユーザーが老眼になったとする。それは遠からぬうちに、間違いなく起こるはずだ。そのうちの何割かは時計(含むスマートウォッチ)を着けることを止めるかもしれないし、別の何割かは、機能こそスマートウォッチの足下にも及ばないが、時間の読みやすい、“古典的”な腕時計を選ぶかもしれない。それが高級品なのか、安価なクォーツなのかはさておき、時計の機能を持った“何か”であることは想像に難くない。筆者が冒頭で、スマートウォッチの普及は時計業界のプラスになる、と述べた理由だ。

 こういう考えは、実のところ、時計業界に少なくない。独立時計師のフィリップ・デュフォーは「日本の若者を見ると、誰も時計を着けていない。だからスマートウォッチを通じて時計を使う人が増えるのはいいことだし、それはいい影響をもたらすだろう」と筆者に述べた。ちなみに彼は、ほぼ完全な手作りで、高級時計を製作する著名な時計師である。スマートウォッチの対極にある彼が、スマートウォッチの良い影響を見ているのは、大変興味深い。

 今後も、スマートウォッチはシェアを拡大するだろう。そして、その牽引役はApple Watchであり続けるだろう。ただし、短期的に見た場合、「アップルに破壊されたスイスの時計業界」はとても言えないし、中長期的に想像しても、そうなりにくいのではないか。

広田雅将

時計ジャーナリスト。

時計専門誌『クロノス日本版』編集長。サラリーマンを経て現職。クロノス日本版をはじめ、『LowBEAT』『日経ビジネス』などに執筆多数。共著に『ジャパン・メイド トゥールビヨン』(日刊工業新聞社)『アイコニックピースの肖像 名機30』(シムサム・メディア)など。ドイツの時計賞「ウォッチスターズ」審査員。

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