「私のこと、見てる?」--Google Glassとプライバシーの未来についての考察

 「Google Glassをかけた人をこらしめる方法はただひとつ--盗撮と疑わしき行為をした瞬間、そいつの顔めがけて、バケツ一杯の氷水を浴びせてやることだ」

 ベータ版が一般向けに公開されて以来、Google Glassが成功するか、それとも失敗に終わるのかについて、すでに多くの議論が始まっている。期待値は、もちろん高い--「一度Google Glassを使った人は、Google Glassなしの生活には二度と戻れないだろう」と言い切る人もいるくらいだ。

 しかし、その前に、もっと大切なことを考える必要はないだろうか。

 Google Glassは、「プライバシーの未来」に対する、グーグル社からの非公式な声明だ。かつて、プライバシーの最大の敵はビッグブラザー(国民を極度に監視する独裁国家権力のこと。ジョージ・オーウェルの小説「1984年」から生まれた言葉)であり、その代表的なメディアは、旧式テレビの閉じた世界だった。だが、今の世界の脅威は、そのかわいい妹バージョンの「リトルシスター」である。彼女は、社会的にもっとアクティブで、好奇心旺盛で、最新のテクノロジーにも強く、たいていの物が「無料」で手に入る世界に生きている。毎日の生活を充実させてくれる一方で、デジタル世界の不毛な疲弊感を生み出す根源でもある。

 近い将来、Google Glassに関する議論は「そもそも〝データの所有者〟とは誰なのか?」という問題に対する社会常識を覆し、それによって、私たちが住みたいと願う理想の都市像にも変化が訪れるだろう。Google Glassが本質的に悪であるという意見は、私からすると、的外れな批判だ--実際のところ、Google Glassをめぐる問題点は、いま突然始まったわけではない。ただ、これまでは目に見えにくかったために、広く議論される機会がなかったというだけのことだ。

 顔に装着し、実際にその一部としても機能するGoogle Glassは、公共の場やプライベートな場でのふさわしいマナーを広く論じ合ううえで、格好の題材となることだろう。議論はすでに始まっているが、その中身はまだ原始的な段階だ。今後、新しいハードウェアや機能性が追加発表されるごとに、新たな波紋が加わっていくことも予想される。

 Google Glassの登場が引き起こす状況を3段階に分けて予想すると、まず、短期的には、人々の怒りや中傷や冷やかしを受け、ときにはバケツの水(それが冒頭の引用のように氷水かどうかは定かでないが)を浴びせられるだろう。次に中期的には、商品が社会に広まる一方で、公共スペースでひんぱんに使用(または悪用)され、訴訟問題も急増する。そして、長期的には、個人/企業/社会の需要と、プライバシーへの配慮の程よいバランスを反映した、新たな法律が生まれることになるだろう。

Google Glassの脅威とは?

 常にオンラインに接続し、センサー機能も付いているGoogle Glassは、記録した写真やビデオや音声をどこへでもすぐに送信できる。記録した内容を分析したり(人の顔をプロファイルと照合したり、着ている服のブランドを調べることも簡単だ)、外部の装置を介せば、もっと詳しいデータ(位置情報、気温、経路など)も集められる。つまり、最高に整った条件下(見方によっては「最悪の条件」とも言えるが)では、「あらゆるもの」を記録し、測定することができ、しかも、そのデータを特定の個人と結び付けることができるということだ。一体どのようにして、そんなことが可能なのだろう?

 ここで、ちょっとした実験をしよう。表に出て、座れる場所を見つけて、周りの人々が交流しているのを観察してみてほしい。できれば、それなりに人通りのあるところがいい--たとえば、カフェの端っこの席、公園のベンチ、マーケットの出入口の近く。それほど土地勘のない場所の方が、先入観を持ちにくいぶん、より適している。

 30分かけて周囲を眺めて、目前の光景に思いをはせてほしい。そのスペースに誰が来たか? その目的は?/出会った瞬間、どんな歓迎の挨拶を交わしたか? そもそも、その人は本当に歓迎されていたか?/人々は、他の人に対して自分をどんなふうに見せようとしているか?/その人の身分や社会的なステータスを示すものは?/何らかの物が置かれた場所は?/複数の物がある場合、その関係性は?

 人ごみの中に、写真やビデオを撮っているらしき人はいるだろうか? もしいたとしたら、その人は何を撮っているか? 彼らが使っている「テクノロジー」に注目してほしい。私がここで言うテクノロジーとは、最新の道具に限らない。なんらかの記録能力を持ち、かつては最先端のテクノロジーだったが、今では誰もが普通に使っているもの――たとえば鉛筆、腕時計、スマートフォンも当てはまる。それらの道具はいったいどんなふうに使われているか?

 ひとつ付け加えておくと、この状況は決して目新しいものではない。写真やビデオや音声(電話のバックに聞こえる雑音も含む)は、これまでにも人々や企業によって記録されてきた。誰がどんな回線に接続して、何をしているのかという情報やデータもすでに収集されている。たとえばグーグル、マイクロソフト、そしてノキアのNavteq(他にもたくさんあるが、ここでは3つの例にとどめておく)は、今あなたの目の前に広がる空間をすでに綺麗にマップ化し、ストリートビューとしてオンラインで公開している。

 だが、ストリートビューとGoogle Glassには、大きな違いがある。Google Glassの脅威とは、人間の目や耳が意識していないものでも、こっそりと、誰からも気づかれることなく、継続的に記録できてしまうという点にある。ここで思い出してほしいのは、グーグル社は大量なデータから得られる情報をもとにした広告販売のビジネスを行っている、という事実である。そして彼らは、この空間において、継続的/無作為に記録を取得することで、無数のデータを底引き網漁のように集めることができる--これは破壊的なテクノロジーであり、私たちの会話やプライバシーの大敵になりえる事態だ。

 現在の私たちは、自分たちの会話や画像がどこかの誰かに記録されていることなどありえない、と盲目的に信じている。だが、あなたがこれから会う人や団体が、あなたの個人情報をすべて掴んでいるとしたら、果たしてどうなるだろう--プライバシーの自由が確保されているからこそ、人は自由にふるまえる。私たちの会話が勝手に記録され、会ったこともない誰かに宛てて送信され、最終的にどこかの企業の広告代理店の手に渡る可能性があるという危険性は、私たちの会話の内容を根本的に変えてしまうことにもなるだろう。Google Glassのいちばんの課題は、プライバシーを侵される危機がグラスの装着者だけでなく、その「隣人」にまで降りかかるという点なのだ。

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