震災直後、都内のスーパーやコンビニから米やカップラーメンが消えた。それだけでなく、トイレットペーパーや乾電池など生活必需品があっという間に買われた。この買いだめ行動は「身勝手だ」「非合理的(無意味)である」と世間から強い批判を受けた。しかしこれは本当に身勝手・非合理的といえるのだろうか。
余震の確率が高く、原発事故まで起きた中で、自分や家族の身を守る行動に出るのは当然であり、必ずしも非合理的なわけではない。ただし、ヨウ素入りうがい薬や昆布までが店頭から消えるのは明らかに非合理的である。支援物資の集積地には十分な物資があるのに、そこから避難所まではなかなか届かないと言われていた。これは輸送の問題であって、必ずしも品不足ではなかった。
政府は「非合理的」な買いだめ行動を慎むように、繰り返し訴えていたが、消費者が非合理的だと断罪する前に、物資やロジスティクスの確保など、政府としてすべきことをきちんとやったのかどうか、改めて検証する必要がある。
買いだめを自粛したとしても、被災地に物資がまわるわけではなかった。東京の人同士で物資を取り合っているだけだから被災地には影響がない。むしろ「東北の人たちのために買いだめを我慢しよう」といった主張や、震災直後流行し、経済活動に影響を及ぼした「自粛~東北の人たちが辛いのだから、私たちも我慢しよう~」の動きの方が、非合理的かもしれない。
放射能に汚染された農産物についての「風評被害」も必ずしも非合理的とは言い切れない。当初、福島県産のほうれん草やかき菜が基準値を超えたとして出荷停止になった。福島県産の他の野菜は大丈夫なのか、他県産のほうれん草はどうなのかと、疑問に思うのは自然である。すると、リスクを回避するために、福島産の他の農産物や他県産のほうれん草が買い控えられることになる。これが風評被害の原因である。政府は、消費者に対して必要な情報を十分に出して納得のいく説明をした上で、万全の措置を取ったのであろうか。政府は、消費者の非合理性のせいにしようとするが、無責任である。政府の責任は、汚染された牛が市場に出回ったことを見ても明らかだろう。
節電は重要だが、いつでもどこでも節電を強要するような「節電ファッション」はいただけない。昼間の数時間のピーク時を除けば、必ずしも節電は必要ではない。照明を落としてあるために、階段を踏み外しそうになったり、駅でエレベータやエスカレータまで止まっているので、お年寄りや足の不自由な人は困ってしまう。暑いのにエアコンを使わずに熱中症になったりする。単なる節電ムードではなく、正しい節電が必要である。打ち水は一瞬涼しくなるが、湿度が上がることにより、かえって電力使用量は増えるというデータもある。
節電自体は合理的であり、社会にとってよいことであるが、行きすぎにならないように気をつけるべきである。そもそも、今後の電力需給の見通しもいまひとつはっきりしない。ここでも正確な情報がほしい。
最近、「震災を契機とした変化としてボランティアなど社会への奉仕活動を行う人が増加した、社会への帰属意識が高まった」などと言われることがある。一見するとやはり、人びとの社会貢献意識が高まった、日本社会が成熟したようにも見える。しかしこの現象の裏には実際は、現代の日本社会が抱える問題も潜んでいるのではないだろうか?
人間は、褒められたり、人と人との繋がりを感じたりすることを必要とする生き物だ。「自分が必要されている」と承認欲求が満たされることは人間の心身の健康にとって重要なことである。
しかし現代の日本社会は、一人一人が厳しく査定される評価主義社会。しかも、「優れているところを褒める」のではなく「至らない所をおとす」減点主義でできている。優れていても褒められず、失敗すれば堕とされる。こういった社会の中で「自分は必要とされているのだろうか?」と不安を感じた人々が、承認欲求を満たせる場として選んだのが、ボランティアなのではないだろうか。
人間が倫理的になったというよりも、本来満たされるべき欲求が満たされないことが、人々を、ボランティアやエシカル消費といった“ほぼ必ず、人の役に立て、感謝を得られる”行動に走らせる。つまりそれは、会社や学校が人々にとっていづらく、社会が暗くなっていることの反映ではないか。
ボランティアが増えるというのは確かにいいことだ。とはいえ「日常の中で満たされない欲求をボランティアで満たす」人が多い社会というのは本当にいい社会なのだろうか。
このように、表出する行動は変わったが、その裏に潜む人々の行動原理はほとんど変わっていないのではないか。しかし、何一つ変わらないと思っているわけではない。震災は人々に「考える」きっかけを与えるものであったことは事実だろう。
震災以前に比べて、学生の勉学態度が熱心になり、風評、自粛からエネルギー問題、そして資本主義のあり方まで、震災と経済の関連などに関心を持っている。人々が以前よりも熱心に、消費や経済、そして社会について考えようとしているのは確かだろう。※本記事は取材を元に作成。
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*この記事はキャビネッツドゥロワーズ「The Social Insight Updater」からの転載です。
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