Facebookはどのように始まったのか--米国の大学カルチャーと創業者たち - (page 2)

 並行して、すでに2月末には、コロンビア、スタンフォード、イェールの各大学を追加した。その後、ダートマス、コーネルといった具合に、いわゆるアイビーリーグに開放していった。

 Facebook創立には、Zuckerberg氏のルームメートだったDustin Moskovitz氏、Chris Hughes氏、Eduardo Saverin氏が共同創立者として関わっていた。

 経済学専攻だったMoskovitz氏は、2004年の夏にZuckerberg氏とパロアルトに移り、大学も辞めて正式にFacebookの起業に貢献したが、2008年には同社を去り、独自にソフトウェア会社を立ち上げた。

 歴史と文学を専攻していたHughes氏は、Facebookのスポークスマンとしての役割を務めた。2007年にFacebookを去り、オバマ大統領のソーシャルメディア戦略チームの頭脳として迎えられ、選挙運動に大きく貢献したことで知られている。

facebook Facebook内に設けられたオバマ大統領のサイト

 初代CFOとして参画したSaverin氏は、Zuckerberg氏があの音楽共有サイト「ナップスター」の共同創設者であるSean Parker氏をFacebookの社長として迎え入れたことで、亀裂が生じ、後にZuckerberg氏を訴えた。そしてFacebookはハイテク企業の聖地パロアルトに拠点を移し、PayPalの共同創設者であるPeter Thiel氏から資金を得てサービスを拡大していった。

米国で受け入れられた理由とは

 Facebookは、米国特有の階級社会的要素を持った一流校の学生たちにとって、大学の名の下に実名で自分をアピールできる場として必然的に普及していったと想像できる。当時、「MySpace」や「Friendster」といったSNSがすでに存在していたが、これらは匿名を前提としたものだった。Facebookはむしろ実名であったことで普及していったのである。

 そしてアイビーリーグへ一通り普及すると、全米の大学に公開されていった。2005年内はまだ大学のメールアドレス(.eduドメイン)を所有する学生や大学関係者のみの参加に限られていたが、2006年になると全米の高校生に公開し、同年9月には13歳以上という制限で一般にも公開された。ちなみにこの当時のアクティブユーザー数は1000万人を超えた程度だった。

 最初はエリート校限定という排他的かつ特権的な位置づけでスタートし、さらに実名により利用者が安心して登録し、情報を公開できる場として広がっていった。そしてその窓口を段階的に広げていくことで、米国内では実名登録への抵抗が意識されることなく、登録者が増えていったと考えられる。

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