1月22日に発表された富士通の社長交代は、2010年の早い時期には必ず発表されると見込まれていた。
2009年9月に前社長の野副州旦氏が病気療養を理由に退任。兼務で社長を務めた会長の間塚道義氏自らが、その会見の席上、「今回の社長兼務は緊急事態の影響を最小限に留めることを優先したものであり、しかるべきタイミングで後任社長を選任したい」とコメントし、間塚体制は「つなぎ」であることを示唆していた。「時期は年内なのか、年度内なのか、株主総会までなのかは決まっていないが、しかるべき時に決定したい」と明言していたことからも明らかだった。
富士通では2009年10月に設置した指名・報酬委員会で、新社長選出に向けて副社長、上席常務、常務などの面接を行うとともに、新社長を補佐する副社長についても選出していた。22日の取締役会では指名委員会による提案を受けて、社長および社長を補佐する5名の副社長人事を決定した。
新社長候補は、水面下では複数の名前が挙がっており、山本氏もその有力候補のひとりではあった。
だが、海外経験が豊富な野副氏が敷いた路線を踏襲し、グローバル化を強力に推進する富士通において、プロダクト事業出身の山本氏が最有力になるとの見方はなかった。また、サービス、ソリューションの事業拡大を重点ポイントとする富士通の方針を考えると、やはり山本氏の経験とは別の経験を持った人材を登用する方が現実的だったともいえる。
だが、山本氏が新社長として選出された理由には、長年に渡るPC事業での経験をもとに、スピード感を持った経営手法を生かすことができるとの判断が働いたとも考えられる。
グローバルで戦うための経営スピードが、現在の富士通グループ全体に備わっているとは思えない。その点では、山本氏の経験は全社に生かすことができるだろう。
そして、補佐役として5人の副社長を選出。さらにこれまで担当が1人だったサービスおよびソリューション事業担当役員を、それぞれ分割する形で副社長として配置。より強力に事業を推進する体制を作ることで、経営チーム全体としての力を発揮することになる。
また、懸念材料とされるグローバル経験についても、「私は、PC事業には黎明期から携わり、この厳しい経験を富士通のグローバル展開のなかに生かすことができると考えている」とする一方、「確かに海外での経験がないとも言えるが、2009年4月に富士通シーメンス・コンピューターズを100%子会社化するプロジェクトのリーダーを務めた。この経験が今後の富士通のグローバル化のなかで貴重な経験になる」などとした。
富士通シーメンス・コンピューターズを社名変更した富士通テクノロジー・ソリューションズの成果を推し量るには時期尚早であり、その取り組みはまだ道半ば。グローバル化に向けてこの経験が生かされるかどうかは、これからの山本氏の手腕次第だろう。
一方、長年に渡り山本氏を取材して感じるのは、山本氏の人柄に関するものだ。山本氏の出身母体となるPC事業を担当するパーソナルビジネス本部の社員をはじめ、多くの社員からの人望が厚く、山本ファンも多い。これだけ悪い評判がない役員も珍しいほどだ。
2007年1月30日のWindows Vistaの発売日には、深夜0時のカウントダウン販売のためにビックカメラ有楽町店に駆けつけて店頭を盛り上げた。また、国内生産にこだわる富士通のノートPCの生産拠点、島根富士通で累計生産2000万台を達成した2008年2月22日には生産現場を訪れ、工場スタッフの労をねぎらうなど、一貫した現場主義の姿勢も山本氏ならではのものだ。
さらに、マルチメディアに特化したFMV-TEOを投入する一方、地デジなどの富士通が得意とするマルチメディア機能を排除した低価格モデルを投入、市場シェアを引き上げるなどの大胆な施策にも取り組んだ。加えて、富士通が得意とする国内生産ならではの小型軽量を徹底追求したモバイルPC「LOOX U」の製品化に取り組むなど、新たな領域に対して果敢に挑む姿勢も持っている。
そして、最近では年間50万台の出荷を目指すIAサーバ事業でも陣頭指揮をとり、直近ではクウラド事業の担当として新たな施策を発表してきた。
「富士通を明るく元気な会社にしたい」という発言は、そのまま山本氏の性格を表現したものだともいえる。社員をまとめ上げる能力は特筆できるものだろう。その点でも、社長としての山本氏の経営手腕に注目したい。
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