日本ヒューレット・パッカード(日本HP)は8月26日、東京昭島での生産開始から10年を記念する式典を開催した。
日本HPは、ダイレクトウェブショップ「HP Directplus」のスタートと同時に、1999年に東京あきるの市で法人向けデスクトップPCの注文仕様生産(CTO)を開始。それ以前は、シンガポール工場で生産したものを日本へ輸入していたという。
2003年に昭島にラインを移設し、現在ではデスクトップPCほか、ワークステーション、86サーバ、ブレードサーバ、システムインテグレーション、ラッキングなど幅広く手がける。およそ3万通り以上の組み合わせに対応し、PCは1日に5000台の製造が可能という。
日本HP 取締役 副社長執行役員 パーソナルシステムズ事業統括の岡隆史氏は当時を振り返り、「10年前、なにもないところから業務を始めた。日本で作れば、短い納期で日本が求める品質や感性に応えられる製品を届けられる。他社が海外生産でコストを落とす戦略の中、逆をいった。日本での生産ボリュームも拡大して10周年という区切りを迎えられ、嬉しく思う」と挨拶した。
1999年当時、8.9%だった国内のデスクトップPCのシェア(法人向け)は、2009年現在、19.5%まで上昇した。2007年より個人向けデスクトップPCの生産をスタートし、約2年を経過したいまは4.5%まで上昇したという。
「ビジネスとしても成長している。お客様に受け入れられる製品づくりに成功しているのではないか。もっと身近なメーカーというイメージをほかの国と同じようにつくっていきたい。会社のポリシーに『グローバルシチズンシップ(良き市民に)』がある。地域に密着して、活動する代表的な例が日本生産。日本マーケットでビジネスを継続していくというコミットメント」(岡氏)と説明した。
しかし、この10年の間には日本生産を続けられない危機もあったという。HPとCompaqの合併の過程で、あきるの事業所を閉鎖することが決定したからだ。
日本HPパーソナルシステム事業統括 PSGサプライチェーン本部 本部長兼昭島事業所長の清水直行氏は、「当時の本部長が、シンガポールに出向いて、継続を勝ち取るまで帰ってこられない状況だった。(継続の)一番のポイントはコスト面の比較だった。一方で、大変な時期に生産100万台を達成をした。思い出すと感慨深い」とエピソードを語った。
より地域に根ざした工場を目指し、10周年を記念して昭島市へ15台のPCを寄贈した。さらに10月1日には、昭島市内の小学校16校でPCの組み立て体験教室を開催し、児童が組み上げたPCを学校に寄贈するという。
式典には、昭島市副市長の佐藤清氏と昭島市教育委員会教育長の木戸義夫氏が参列。日本HPに対し感謝状を贈ったほか「高齢者もPC熱が高い時代。公共施設にPCを配備しているが、3年、4年経つと陳腐化し、スピードが遅いといった声も聞こえてくる。要望の強い図書館、児童センターなどで大事に使わせていただきたい」(佐藤氏)と謝辞を述べた。
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