最近、ブログの様相の変化が話題になっている。ProBloggerのDarren Rowse氏は、ブログは今や関係を重視していないのではないかと問いかけた。Scoble氏は、技術系ブログに人々が失望した理由を説明した。誰もがScoble氏の発言に全面的に賛成したわけではないが、ブログの世界には、「Appleの新製品やIT業界の有名人のちょっとした過ち」について書くよりも、何がおもしろいのかをつづるブログに回帰しようという新たな機運が生まれていた。しかし、少なくとも従来の意味で、人々はいまだにブログを必要としているのだろうか。
かつて自身の個人的な考えや意見をインターネットで公開して、ほかの人たちに読んでもらうための主な手段であったブログは、インターネットを民主化する動きとなった。誰もが発表者になれた。しかし現在、コミュニケーション手段として皆に好まれたブログの時代は終わったのかもしれない。その後がまに座っているのは、ライフストリーミングだ。FriendFeedだけの話だと思わないでほしい。コミュニケーション形態としてのライフストリーミングは、1つのソーシャルサイトを越えて今日のソーシャルウェブの拠点を築く、まったく新しい方法にまで広がっている。
ライフストリーミングとは、時系列で並べられた情報を使って日々の行動を記録する新しい方法だ。インターネットでの活動と実世界での人目を引く行為で「ネット有名人」になったJulia Allisonさんのようなブロガーは、ライフストリーミングを使ってスターの地位に上り詰めた。さらに、ネットでのスターの地位を得たことで、「Wired」誌の最近の自己宣伝に関する記事で取り上げられた。Allisonさんのコミュニケーション手段はもちろん、ライフストリームだ。ブログには、多少の写真、動画、コピー&ペーストされた電子メール、ふと思ったこと、リンク、よくある過剰な共有しかない。しかし、サイトは縦ではなく横にスクロールしており、ほかのブログよりもずっと時系列的に見える。
ライフストリームのシンプルさは、情報過剰の現代に理想的だ。ライフストリームは短くて読みやすく、しかも、かつての気楽な個人ブログと同じように個人の生活を知ることができる。動画や写真などがあちこちに使われていれば、今日のインターネット市民は他人の生活をのぞき見て、その人がどんな人物であるかを感じ取ることができる。一方、わたし自身を含む長文ブロガーの場合、読んでもらうには時間と注目が必要だが、インターネットには非常に多くの発表者がいるため、かつてのようにコンテンツが読まれることはない。読み手は文章をざっと見て、次に移るだけだ。このため、新規のブロガーにとって、読者の獲得はこれまでよりも難しくなっている。ブロガーの発言は雑音にかき消されてしまう。そのような状況で人目を引き、注目してもらうため、ライフストリームに目を向ける人たちが出始めている。
Julia Allisonさんの方法はライフストリーミングの選択肢の1つにすぎない。週末、わたしは偶然このブログを見つけた。これがブログと呼べるものであればだが。これは普通のブログではなく、ソーシャルアグリゲーションサービスであるFriendFeedをベースにしたライフストリームだった。次の画像がそのブログだ。
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