「アップルゲート」事件に見るデジタル報道時代の危険性 - (page 2)

文:Caroline McCarthy(CNET News.com) 翻訳校正:吉武稔夫、佐藤卓、小林理子、編集部2007年05月22日 21時49分

 Lam氏がこう言うのは、2006年12月に「iPhone」に関する予測記事を投稿した経験が教訓になっている。Lam氏は、AppleのiPhoneのことを書いたわけではなかった(とりあげたのは、同じ名称のCisco Systems製の電話機のほうだった)。しかし、Appleのファンはこの冗談を非常識でひどいものだとみなし、Gizmodoには納得のいかない読者からのコメントや電子メールが山のように届いたのだ。

 今思えば、もう少し違った対応のしかたがあったはずだとLam氏は振り返る。「私はそもそも(その記事に)『Apple』というタグを付けるべきではなかった。それに、謝罪もすべきでなかったと思う。謝罪をしてしまったときに、私は自分をどうしようもないところに追いこんでしまったのだと思う。なぜなら、冗談として始まったことなのだから、冗談のままで通すべきだったのだ。まったくひどい騒ぎだった」とLam氏は語った。

 それ以来、ブログの投稿が持ち得るインパクトの大きさに気づいたとLam氏は言う。裏づけのほとんどない、ささいなうわさ話に飛びつきがちなブロガーについて、Lam氏は「とにかく、さっさと報じて責任は負わないという姿勢もとれる」と言う。「だが、AppleやMicrosoftにかかわる場合はどんなことでも、私は真剣に取り組む。ばかなまねはしない。重大さが違うのだ」

 虚報の記事を投稿したEngadgetのブロガーRyan Block氏が、あのとき投稿すべきではなかったかどうかについては、議論したところで結論は出ないだろう。結局のところ、Block氏は、メモの信憑性を調査するか、他の技術系のブログに出し抜かれる前にさっさと記事をEngadgetに投稿するかの選択に迫られていたのだろう。「記事を誰よりも早く投稿するというのは、条件反射のようなものだったと思う。それは理解できるし、大切なことだと思う。何もかもする時間はないのだ。だから、Ryan氏に罪はない」とGizmodoのLam氏は語った。

 Engadgetの読者のうち、少なくとも、Block氏が17日に投稿した謝罪記事に対するコメントを投稿した読者は、同じ考え方のようだ。ある読者は「本心から言うのだが、私はメディアをどんなときでも許すことができる」と記している。また別の読者は、「Ryan氏がしたことには、何も間違ったところはないと思う。ジャーナリストならみんな同じことをしただろう」と書き込んでいる。もちろん、(Appleの株を持っていると主張している人を含め)怒っている読者も少数存在するのは事実だが、コメント投稿者の全体的な雰囲気は、Ryan氏を許す方向に向かっている。

 しかし、これが「New York Times」だったとしても、読者は同じように理解を示すだろうか。ブログの読者はテクノロジ好きの若者で、Engadgetのようにブロガーが次から次へとニュースを投稿するそのスピードを評価している。一方、新聞の読者が同じようなスピードを求めているとは思えない。こちらの読者は、新聞社が記事の内容に細心の注意を払う点を評価しているのだ。したがって、大手新聞社がEngadgetのようなミスをした場合に、誰も責任をとらずにすむかどうかについては何とも言えない。

 もちろん、大手報道機関がそれ相応の誤報をしないというわけではない。ニュースサイトの「MSNBC」は2007年3月に、ある政治サイトの記事を引用して、民主党の大統領候補John Edwards氏が自身の選挙運動を一時中断したとする記事を掲載した。その後、Engadgetの場合と同じように、MSNBCはこの誤報を訂正して誤ちであったことを認め、ニュースの続報を報じた。

 ものすごいスピードで競争を繰り広げることが、オンラインの報道や出版では当たり前になっているのだ。したがって、読者はこうした状況を受け入れ、承知のうえで接しなければならないと、ニューメディアを専門に研究する、コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授のSree Sreenivasan氏は指摘している。

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