史上最年少で上場したアドウェイズ社長の行動力:後編

構成:西田隆一(編集部)2006年07月18日 08時00分
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前編からの続き)

小池:それは社員旅行に行ったあとだったの?

岡村:社員旅行は中止にしたんですよ。新卒の採用もリクナビに申し込んでいたのですが、それは結局分割払いでお支払いしたんです。2001年11月というと、ちょうど2003年の新卒を募集し始める時期で、キャンセルしようと思ったらもうできないと言われて。じゃあ、お金がないと言ったら分割でいいと言っていただいて、分割で払ったんですけど。

小池:リクルートが分割なんかやってくれるの?

岡村:もう前代未聞だったんです(笑)。

 結局、その3500万円は11月分の売り上げなんで、うちは支払いが翌々月の15日払いなので、1月15日までに支払わなきゃいけない。これはなんとかして払わなきゃいけないということでしたが、広告で3500万円を生むのは難しいなと思ったんです。

 なので、システムを売ろうと思って、何か企業が欲しがるシステムはないかといろいろ考えて、ネットエイジさんも昔やっていた、ネットマイルみたいなポイントサイトのプログラムを作って、「ここでポイントサイトをやったら儲かる」というプレゼンをしに企業に行きました。

 そうしたら売ってほしいという企業が1社出てきたので、4000万円で提案したところ、4000万円で買うと言っていただけたんです。

 でもシステムの支払いは納品してからですよね。そうすると間に合わなかったので、納品前にお金を払ってくれたら3000万円にまけますよと交渉したら、じゃあ納品前に払うと言っていただけて、3000万円を先にいただいて、それで何とか払うことができました。

小池:システムはそれから作ったんですか。

岡村:それから作ったんです。それで何とか払うこともできました。

小池:すごいね。その手のシステム、まだ作ってもいないやつを3000万円でよく買ったよね、その買った人もね。

岡村:4000万円から3000万円って結構な値引きじゃないですか(笑)。

小池:奥さん相手にフィルターが売れるわけだよね(笑)。すごいね、びっくりした。それで、じゃあそれは乗り越えたわけ?

岡村:それはそれで何とか乗り越えてですね。

小池:それでリクルートも分割にしてもらって、新卒の採用もしたんですか。

岡村:それで入ってきたのが今の管理部の責任者とかです。その時期の新卒が今うちの主力になっています。なので、その7000万円事件がなかったら、その2003年新卒を採用しようとかという気にも多分なっていなかったと思います。

 それに、当時、その事件が結構有名になったんです。有名になったのはメール媒体業界という小さい業界ですが、これでアドウェイズは払えずにつぶれるんじゃないかという話になったんですが、それでもうちが払ったんで、「アドウェイズは媒体を守る会社だ」と信用度が上がって、その事件をきっかけに得るものがいっぱいありました。

小池:なるほど。すごいね。7000万円事件がきっかけとなった2003年の新卒採用をして、事業も2003年にアフィリエイトに転換したということですが、2003年はけっこう契機になっていますね。

岡村:事業的に言うと、今残っているJANetとか、Smart-Cが生まれたのもその年です。

 ただ、うちの会社は新しい事業をボンボンやっていくぞみたいな勢いだったので、新しい事業とか新しい企画ばっかりやっていて、営業を全くしない会社だったんです。2004年ぐらいにちょうどベンチャーキャピタルさんにお金を出資してもらおうと言っていた頃は、全然営業をしていなかったので売り上げが上がらなかったんです。

 あんまり伸びがよくなくて、でも人材はボンボン採用してしまったので、経費だけは出ていく一方でした。なので、これはお金がショートするぞというときに、ちょうど松嶋(取締役COO)が入ってきて、そこから松嶋が資金調達をやってくれて、それだけでなく営業をしようという雰囲気になって、みんなで全力で営業にまわって売り上げもグーンと伸びたという年なんです。2003年の売り上げは5億円だったんですが、2004年は14億円でいきなり3倍ぐらい上がりました。

小池:でも、営業をしない会社のわりには5億円も売り上げて……。普通だと1つのことをやり始めるととことんやってドツボにはまっちゃうベンチャーも多いと思うんだけど、今の話を聞いていると、機転が利くのとそれを決めたときのスピードがすごく速いよね。そういうのは何か考えがあるんですか。

岡村:振り返ってみると、今は以前と比べて多少動きは悪くなってきているんです。やっぱりある程度の人数の会社にもなってきて、例えばこれをやるんだったら情報公開をしなければいけないとか、取締役会にしなければいけないとか、いろいろルールに則ってやっていかなければいけないところがありますよね、今は。

 でも、当時はそんなものは全然関係なくて、これをやったら会社がつぶれるとか、全然知らなかったんです。だから、誰かが「アクション型の広告なんて儲からないんじゃないか」と言い出したら、「そういえば儲からないな」「じゃあ、こんな事業やめだ、今からアフィリエイトにするぞ」と言って、みんな営業に一切まわらずにアフィリエイトの開発だと言っている。そんなノリだったんですよ。

 でも、今はそういうわけにはいきませんよね。業績予想も出しているので、何か新しい事業をやることになったから事業をストップしましたという話はできないと思うんですが、当時は誰からも縛られていなかったところがあったので動きがよかったですね。

小池:確かに事業を始めて、インターネットの広告については目をつけて、当時はその中で試行錯誤してやってみる時期だったと思うので、そういう意味では、その仮説に対してやってみて、それがうまくいかない、こっちのほうがいいだろうといったら機転を利かせてばっと変える。多分、変えられた企業は今生き残っているんだよね。それを考えると、それがすごくよくできていた会社なんだろうね。

 あと、7000万円事件は、今でもそうだったら公開審査で引っ掛かっちゃうから絶対に株式の公開もできていなかったと思う。でも、失敗があって初めてそういうのに慎重にならないといけないとか、契約はきちっとしなければいけないとか、そういう経験になってくるわけで、だから最初のうちにいろいろな経験をしたのが多分今につながっているんだよね。

 ところで、中国に進出されていますよね。あれはいつ頃に進出したんですか。

岡村:2003年12月ぐらいです。

小池:どういうきっかけで中国に進出されたんですか。

岡村:2003年の正月が明けたときに、当時、成果報酬でシステムを作ってくれた方がうちのシステムの役員になっていたのですが、その方が「日本でSEは集まらない、日本にSEはいない」と言い出しました。「どうするんだ?」と言ったら、「中国にSEがいっぱいいるから、中国から人を山ほど連れてくる」と言い出して、じゃあそれでやろうということになって、中国に日本で働かないかと学生を勧誘しに行ったんです。そうしたら、「中国に会社があるんだったら就職を考える」という学生がいっぱいいたみたいなんで、じゃあ中国に会社を作るかということで、設立準備を始めました。

 本当は5月か6月ぐらいに設立する予定でしたが、ちょうど2003年の5月や6月頃だとSARSの流行がありましたよね。それで結局12月に延びちゃったんです。

小池:なるほど。その元役員の方が1人で乗り込んで行って中国の会社(愛徳威軟件開発(上海)有限公司)を作ったんですか。

岡村:そうです。

小池:最初はシステムの開発を委託する先ということでつくったんですね。

岡村:そうです。うちの日本の事業の開発という位置付けです。

小池:そんなに開発のニーズがあったんですか。

岡村:どっちかというと、受託開発というよりも自社の事業のための開発です。けっこうやりたいことがいっぱいあったんです。

小池:それは、普通だったらどこかに外注するわけですが、しかも中国のオフショア開発の安いところに外注してやろうとはならないわけだけど、自分で会社を作って、しかも中国に作るというのは、どうしてそういうふうに考えたのですか。

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