3月21日、僕は大阪にいた。大阪大学で行われた電子情報通信学会モバイルマルチメディア研究会が主催するパネルディスカッションに参加するためだ。大阪に行くのがやっと2回目という僕にとってはあまり慣れないことだったので、キチンと調べなければならない。そこで取り出したのはケータイだった。
経路案内で候補を出してきて、もし飛行機だったらそのまま空席案内を調べてチケットを取って、ケータイでそのままチェックインすることだってできる。結局新幹線で行ったのだが、春から夏にかけて名古屋や大阪に行くことが増えることを考えると、ケータイの上ですべて手配できるようになる便利さはとてつもないものがあると思った。そうだ、使っていなければその機能の意味や利点が見えにくいのだ。では使っていれば意味が見えるのだろうか。
前回は、これまでの本コラムの内訳をふりかえった。どんなテーマが多く書かれているのか、どんなテーマにトラックバックをいただいたのか。僕がキャンパスから切り取ってきたコミュニケーションはどんな類のものだったのか何となくわかってきたのではないだろうか。
今回は、なぜ僕がSFCをフィールドにして切り取り続けているのかがテーマだ。それは、SFCには未来のコミュニケーションのスタンダードが、進化を見る前の状態で存在していて、生き続けている可能性があると考えているからだ。
その話の前に、もうちょっと単純な理由として、地の利がある。大学生時代の4年間、大学院生時代の2年間身を置いてきたキャンパスであったから、というのは紛れもない理由の1つだ。しかしそれだけではないと僕は考えている。SFCは「デジタルキャンパス」として内外から認識されていて、そのインフラの充実ももちろんあるが、インフラの上で生活をしている人が5000人近くいることもまた、理由として考えるべきだと思う。
SFCでは教室内から池の畔の芝生に至るまで、キャンパスのすべてのエリアが無線LANのスポットになっている。メディアセンターにはインターネットに接続されていてビデオ編集まで可能なコンピュータが数多く設置してあり、学生達も自分のノートPCを持ち歩いてキャンパスへやってくる。パソコンやネット、それに関わるデジタルデバイスやアプリケーションが4年間の生活の中に密着しているのがSFCの特徴であることは、このコラムの始めの方でも繰り返し紹介してきた。
授業のお知らせは基本的に電子メールで流れてくるし、レポート1本出すにしてもメールかウェブから提出しなければならない。必須科目の体育の授業予約だってウェブ上のシステムにアクセスしなければならないし、サークルの日程調整もメーリングリスト上で行われる。そんなキャンパスである。生活とパソコンやネットとが密接に関係しすぎているため、もはやこれらがなければ生活に困るレベルにまで入り込んでいるかもしれない。
卒業するために仕方なく、と消極的にパソコンやネットがある生活にコミットする人もいる一方で、多くの人たちが大学という新しい環境に入学するのと同じタイミングで、新しい道具と使い方、その上で展開されるコミュニケーションに好奇心を持って入ってくるし、使いこなすのを楽しみながら生活する様子もまた見ることができる。そしてこれらがすべて、キャンパスを現実世界で共有している学生同士で媒介しながら活用されていくのだ。
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