「仮説的なもの」としては、同書の解説「ビジネスとしてのケータイ」で議論しているような産業構造が挙げられる。ソフトな消費文化そのものよりも、規制や企業の関連といった産業構造というハードな側面に依存するという仮説だ。
国ごとの製品やサービスの違いを議論すると、文化や消費者の嗜好といったソフトな要素が前面に出やすい。だが、それが決定要因になっていることは意外なほど少ない。むしろ、ハードな側面がいかにして形成されてきたかというさらなる理解をする際に考慮すべき要素であり、最初にそれを持ち出してきては本末転倒にもなりかねない。ちょうど、バイリンガルの人間が使用する言語によって表面的な態度や行動が違っていると感じられても、基本的な人格はひとつでしかないのと同様、人格そのものを理解しない限りはその人を分かったことにはならないのだ。
いったんハードな構造が分かってしまえば、その構造下の環境にどのような商品が初期時点で投入されるかはだいたい想像がつく。そして、最も初期の反応は構造そのものとはあまり関係なく行われるものの、それらの対応がいかに学習され、次なる製品やサービスの開発にフィードバックされるかというプロセスには、産業構造以外の、例えば文化やその時点の経済状況といった要素も加わってくるだろう。しかし、産業構造に還元されるそれらの要素を特定するためにも、ベースとなるハード要因を特定しておかなければどうしようもない・・・というのが僕の仮説だ。
この仮説を基に議論すると、日本のケータイ産業は垂直統合化されており、多くの他市場のように(通信事業者と端末、アプリケーションの提供者が)水平分離されていないために、そのまま日本で成功したモデルやサービスを移植することは困難だという結論に簡単に達する。では、どうしたらいいのだろうか。まずは、読者の皆さんにフィンランドなど他国の事情を勉強していただいてから議論するとしようか。
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