Eben Moglen氏は話し上手であることを自認しているし、最近行われた30分間のインタビューにおける同氏の話術はこれをいかんなく証明するものだった。
フリーソフトウェア財団(FSF)の顧問弁護士を務めていたMoglen氏は、2007年5月10日(米国時間)、サンディエゴで開催されたRed Hat Summitで弁舌の才を発揮し、まもなく適用されようとしている「GNU General Public License version 3(GPLv3)」に関する最新情報を参加者に伝えた。GPLは、数多くのオープンソースソフトウェアが採用している一連の規則と制約だ。
だが、事実上FSFを去ったという報道があった後だけに、Moglen氏がサミットでGPLについて講演することには奇妙な印象を抱かされた。しかし、Moglen氏は自らがFSFと決別するかのような報道は誇張されていると主張する。FSFとの間に少し距離を置こうとしているだけだというのだ。
Moglen氏が2005年に設立し、主要なフリーソフトウェアおよびオープンソースプロジェクトのために法的支援を提供するSoftware Freedom Law Center (SFLC)は、今後も引き続きFSFを支援していく予定だという。Moglen氏個人にスポットライトが当たる状況からは少し離れたいだけだというのだ。
「人々は認めたがらないものだが、自分がコミュニティーから身を引いたほうが、コミュニティーが実際に強固になるのはよくあることだ」とMoglen氏は語る。
Moglen氏は今後、SFLC会長としての職務とコロンビア大学ロースクールでの教職にもっと時間を捧げる予定だ。自身のブログに掲載されたコメントには、FSFの顧問弁護士を退任する動機についてさらに詳しく書かれている。「われわれはみなが採用するプロジェクト、あるいは採用したいと思うプロジェクトから、リスクを取り除こうと務めている。この任務を果たそうとする仲間を手助けし、彼らがクライアントを支援するように彼らの成長を支えることこそ、今私がなすべき正しい行動だ」とMoglen氏はブログに書いている。
Moglen氏は、SCO Groupが、Linux OSの特許権侵害をめぐってIBMとの間に続けている法廷闘争に関連して、同社が発言禁止命令を裁判所に要請する可能性がある人物のリストに含まれていた。これはリストが5月初めに明るみに出たことによってわかったのだが、その弁舌の才とフリーのオープンソースソフトウェアの利用推進にかける情熱を考えると、決して意外なことではない。ちなみにこの要請が執行されることはなかった。
Moglen氏は12歳のときにコンピュータに興味を持つようになり、14歳になるころには、すでにコンピュータプログラムの開発で収入を得ていた。IBMで数年間プログラム作成の仕事に就いた後、IT業界を出て弁護士に転向した。ニューヨーク連邦地方裁判所と連邦最高裁判所で判事助手を務めた後、1980年代後半にコロンビア大学ロースクールで教鞭を執ることになった。現在、Moglen氏はコロンビア大学ロースクールの法学および法制史学教授を務めている。
Moglen氏は、コロンビア大学で働いているときに初めて、フリーソフトウェア問題に絡んだ大きな訴訟に取り組んだ。Moglen氏の説明によれば、1990年代の初めのころに「掲示板で情報を漁って」いて、コンピュータ科学者のPhil Zimmermann氏が開発した電子メールの暗号化プログラム「Pretty Good Privacy(PGP)」を見つけ、感銘を受けた。だが同時に、米国の法律ではソフトウェアの輸出が規制されているので、Zimmermann氏は訴えられるおそれがあることに気づいたという。
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