メンフィス大学のある教授が、自分の講義に出席する学生にノートPCの使用を禁止したことが、ブログ界で大きな話題となっている。この教授の講義には法学部の1年生が出席しているが、彼らはこの指示に憤慨して撤回を求める嘆願書を作成し、American Bar Associationにまで苦情を申し立てた。だがこの申し立ては、すぐに却下されたという。
この教授は、コンピュータのせいで学生の注意力が散漫になり、講義内容を熟考することよりも、自分の一言一句を書き写すことに没頭してしまうと述べている。大学側は、今回の判断は同教授の一存によるものとしているが、これによってある興味深い疑問が生じている。それは「はたして学生は、自分に最も都合のよい任意の方法で講義ノートを作ってもかまわないのだろうか」ということだ。現在われわれが向き合っているのは、勉学にコンピュータが欠かせない環境の中で育ってきた世代の大学生や大学院生だ。彼らからそうした機器を取り上げ、おそらくは一度も試したことのないノートの取り方を強要するのは、公平と言えるのだろうか。
この件に関するブログ界の反応を紹介しよう。
「教授に特に肩入れするわけではないが、同氏の見解は非常によく理解できる。学生が単なるタイプマシンと化している場合、彼らは事実を書き留めているだけで、学習しているとは言い難い状況に陥っている」
-- By The Way
「(中略)ラップトップ使用禁止などという命令を下す教授は、学習の概念を驚くほど狭い視野でとらえているように思われる。ラップトップを使用する学生に教授が不快感を覚えるのは、教室で取るべき行動に関して彼らが持っている文化的な捉え方が対立しているからだ。教授たちは、昔の自分がそうであったように、学生はペンとノートを持って机に座り、できれば教科書を広げて、前方に注意を払っているべきだと考えているのだ」
-- TechnoTaste
「わたしは、この教授を『Luddite(技術革新反対者)』ではなく、自由思想主義者と呼びたい。現代社会には、そうした人々がもっと必要だ」
-- eno2001(Slashdotへの書き込み)
「わたし自身も大学院生だが、どの講義にも自分のPowerbookを持ち込んでいる。わたしが授業料を支払っているのに、教授から学習方法について指図されたり、金を払った講義でラップトップ使用の可否を決められたりするのは我慢ならない」
-- Wyatt Earp(Slashdotへの書き込み)
この記事は海外CNET Networks発のニュースを編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ
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