Vint Cerf氏は、歴史の流れを変えるのに貢献したと主張できる、数少ない特権的なコンピュータ科学者の1人だ。同氏とRobert Kahn氏の先駆的な研究はやがて、インターネットの基盤となるTCP/IPネットワーキングプロトコルの開発につながった。Kahn氏(当時米国防総省(DoD)に勤務)とCerf氏はいずれも政府から研究資金を受け取っていた。それは、インターネットを取り巻く無数の要素の開発に関わっていたCerf氏、および今では伝説となっているそのほかの人物たちが行った共同研究の多くについても同様である(Internet Societyが管理するこのサイトには、そのような研究に関する優れた物語が掲載されている)。
しかし、インターネットの歴史において米政府が果たした役割がにわかに論争の的になっている。米国時間7月23日、The Wall Street Journal(WSJ)の元発行人であるGordon Crovitz氏が「Who Really Invented the Internet?(本当のところ、インターネットを発明したのは誰か)」と題されたコラムを発表し、決然として修正主義的な立場をとった。Crovitz氏はそのコラムの中で、米政府はインターネットの誕生に寄与した功績を認められるに値するとの主張に疑問を投げかけた。同氏は、そうした主張は都市伝説だと説明した。功績を認められるに値するのはXeroxだと述べるCrovitz氏は、この問題を別の角度から見ているようだ。「インターネットの歴史を理解することは重要だ。なぜなら、大きな政府を正当化するために、インターネットの歴史が誤って引用されることが往々にしてあるからだ」(同氏)
現在はGoogleでインターネットエバンジェリストを務めるCerf氏は、電子メールでのインタビューの中で、インターネット誕生当時の様子を鮮やかに追想し、勢いのある時代だったその頃の様子について、Crovitz氏の主張とは異なる思い出を語った。
--Gordon Crovitz氏はWSJに寄稿したコラムの中で、インターネットの誕生における米連邦政府の関与は限定的なものだった、と書いています。それはあなたの記憶と一致しますか。
Cerf氏:いいえ。米政府は高等研究計画局(ARPA)を通してプロジェクトを開始しました。Robert Kahn氏は1972年後半にARPAに入局し、インターネッティングプロジェクトを始めました。Kahn氏はBBNに在籍している間に、「ARPANET IMP」(パケットスイッチ)のプリンシパルアーキテクトを務めていました。
1973年の春、Kahn氏はオープンネットワーキングの研究を一緒にやらないかと私を誘ってくれました。われわれは2人とも、1968年から「ARPANET」プロジェクトにも取り組んでいました。ARPANETは1990年まで、ARPAとそのほかの米政府機関から資金提供を受けていました。インターネットに関する研究については、1973年から1995年くらい(そしてそれ以降)まで、ARPAや米国立科学財団(NSF)、米エネルギー省(DOE)、米航空宇宙局(NASA)などから資金の提供を受けていました。1974年5月の最初の論文発表から1983年1月1日のインターネット誕生までに、10年間の研究を要しました。それは、ARPANETとMILNET、複数のイーサネット、2つのパケット無線ネットワーク、パケット衛星ネットワーク、英国およびノルウェーのほかのローカルネットワークを組み合わせたものでした。スタンフォード大学やBBNと同様に、ロンドン大学ユニバーシティカレッジとノルウェー国防研究機構(Norwegian Defense Research Establishment:NDRE)もTCP/IPの実装およびテストに関与していたことに注意してほしいと思います。
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