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デジタル製品

一般企業就職で求めた世間の常識--「NARUTO」ゲーム開発の「CC2」松山代表の起業秘話

2016/02/04 08:30
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 1月28日、デジタルハリウッド大学大学院駿河台キャンパスにて「エンタテインメントの未来を考える会 黒川塾(三十ニ)」と題したトークセッションが行われた。コラムニストの黒川文雄氏が主宰、エンターテインメントの原点を見つめなおし、ポジティブに未来を考える会となっている。

 今回は福岡に拠点を置くゲーム開発会社「サイバーコネクトツー」の代表取締役を務める松山洋氏を招き、「松山洋から君へ…  熱い現場の働き方と未来へのメッセージ」と題して、起業経緯や当時のエピソード、ゲーム開発やエンターテインメント産業に対する取り組みや考え方が語られた。

 松山氏は九州産業大学卒業後、一般企業の営業職を経て1996年に大学時代の友人らとともに「サイバーコネクト」を創業。2001年に松山氏が代表取締役として就任し、社名を現在のサイバーコネクトツーに改称した。同社は「.hack」シリーズをはじめ「NARUTO -ナルト-」「ジョジョの奇妙な冒険」といったキャラクターゲームの開発で知られており、松山氏も自らディレクターなどを務め開発に関わり続けている。

黒川文雄氏(左)と、松山洋氏(右)
黒川文雄氏(左)と、松山洋氏(右)

一般企業に就職して求めた“世間の常識”

 冒頭では松山氏の起業エピソードが語られた。母校である九州産業大学は「NARUTO」の岸本斉史氏をはじめとして、著名漫画家やクリエイター、ミュージシャンなどを輩出し、九州におけるクリエイティビリティの高い人材が集まっている大学だという。当時から漫画やアニメ、ゲームが好きで、将来はクリエイティブな仕事に就きたいと考えていた松山氏だったが、その後コンクリート製品を扱う企業の営業職という、エンタメとは無縁の世界に自ら進んで就職する。その選択を松山氏は「世間の常識を知るため」と振り返る。

 当時才能を認められた地方の学生が、卒業を待たずに中退して東京に上京することは珍しくなく、松山氏は「大学は通過点ときっかけ作りの場所だった」と語る。その一方で、上京した人が壁にぶち当たり、半年から1年でほとんどの人が戻ってきてしまう現実も目の当たりにしたという。そして夢破れた人が「あの業界はおかしい。非常識」と口をそろえて言っていたことが、松山氏の考え方に変化をもたらす。

 「なにと比較して非常識なのか、そもそも世間の常識を知っているのか。よくよく考えると自分も世の中を知らなさすぎる」と松山氏が語ったように、世間の常識と呼ばれるものを知らないまま進むと彼らの二の舞になるのではないかと危機感を覚えたという。そのため家族的ではない大人数の企業かつビジネスライクな業界の仕事に進み、約3年間従事した。さまざまな経験をしたが、仕事として関わった公園で親子が楽しんでいる姿を見て「これも、もの作りのひとつの形」と、それはそれで楽しかったとも振り返った。

 その後、前述のように大学時代の友人に声をかけられ、ゲーム会社を起業する。その友人たちはすでに大手ゲームメーカーに就職し開発職を経験していたが、松山氏はゲームが好きでも開発は素人。PCもWindows95が出たばかりのようなご時世で、一般的に広く普及しているような時代ではなく「モニタがPCだと思ったとか、間違ったボタンを押すと爆発するイメージがあったとか、それぐらい素人だった」という。しかし、同僚の中には開発職出身でシャイな人が多かったため、ビジネスマナーを持って対外的に接することができる営業職のスキルが生きたという。

 早速ゲームの企画書をゲームメーカー各社に送付して売り込みを計った。バックボーンの無い状態で立ち上げたため、また当時は各企業が会社概要を記載したウェブサイトを公開しているとは限らなかったこともあり、電話帳でゲームメーカーの連絡先を調べて、実際に電話をかけて送付先を調べるところからはじめたとも語った。

 ゲーム業界でも独立や起業が多く、当時はコンシューマでも小規模の開発会社に注目が集まっていた。そんな時代背景や相応の実績を持った開発者を擁していたことも手伝い、十数社ほどに送付して数社から返事があったという。その時のゲームは、最終的にバンダイ(現在のバンダイナムコエンターテインメント)からプレイステーション用ソフト「テイルコンチェルト」としてリリースされた。

 バンダイからは「完成したら教えて」と厳格な締切設定がなく、クリエイターを尊重し信頼も置かれていた。しかし窓口に立っていた松山氏は開発側にあえて「毎月の進捗報告を求められている」と、本当は言われていないことを伝えたという。松山氏は開発者の気質として、時間があればあるほど作り込んでしまうため、開発が終わらなくなることを把握した上でのことだと語り、ビジネスとしての常識を身につけた松山氏らしいエピソードとなっていた。

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