コンテンツだけではなく、広くビジネス界で注目を集めつつある「プロデューサー」という人材。その強みは、ただ単にプロジェクトを企画・運営するだけではなく、考えうるものすべてを駆使する総力戦を仕掛けられる構想力だ。
あるグローバル・スポーツ・イベントについて、プロデューサー・チームから意見を求められたことがある。開催はこれから10年以上先のグローバルなスポーツ・イベント。繰り広げられる試合の観戦を遠隔疑似体験できる超臨場感施設を全世界各国の主要都市に設立しようというもの。全世界の子どもたちがトッププレーヤーの活躍に、遥か遠隔地の客席から、あるいはプレーヤーの視点で興じる……というプランへコメントがほしい、というもの。
先日亡くなった国際オリンピック委員会(IOC)元会長のファン・アントニオ・サマランチ氏が先鞭をつけ、積極的に進めたオリンピックなどスポーツ・イベントの商業化モデルは、膨大なテレビ放映権料収入と民間スポンサー料収入に支えられていた。しかし、これから10年以上先に、テレビ放映権料を依然として主要収入と期待してよいのか。また、テレビで放映がパワーではなくなったとき、民間スポンサーはこぞって巨額のスポンサー料を支払ってまでスポーツ・イベントに参加する意義を感じるだろうか。
そんな漠然とした不安が、超臨場感施設の建築という発想になったのであろうが、その費用負担を誰がするのか。先進国では、既存施設の活用、あるいは新規建築であってもそれなりの手段はありそうだが、国民の大部分が飢餓に苦しむ国や、政情不安定な国では、そもそも建設そのものが困難ではないか……などなど解決困難な課題が山積しているのは明らかだ。少し引いて、安定した都市でのみの実施としたとしても、ハイテク施設の建設という困難は資金的に付きまとう。そのため、発想は素晴らしいが、その実現性という点で困難という結論になりかねない。とはいえ、グローバルや10年後という話を忘れて、Jリーグなどのドメなプロ・スポーツでもまったく同じ状況が訪れている。
メディアというトラックが失われつつある今、イベント運営やプロモーション実施ではなく、そもそもスポーツ・イベントそのものをいかにデザインするかという本来的な意味での「プロデュース力」が問われている。一種の問題解決力が、スポーツ・イベントの主催者=プロデューサーに求められているといってもいい。
グローバル・スポーツ・イベントのお話、それはそれで面白いが、今回、深入りするのはやめておこう。ただ、既存の発想で、グローバル・スポーツ・イベントとしてとらえるのではなく、問題解決のユニバースを広げ、アセット・バック・ファイナンス・ファンドなどソーシャルなテクノロジーでレバレッジする事業として捉えることで、超臨場感施設の全世界での施工は不可能ではなくなるのではないか、というアイデアを提供したとだけ述べておく。
今回は、そう、そんなことも含めて、プロデューサーの話なのだ。
昨年度の経済産業省のコンテンツ国際共同製作基盤整備事業(国際ビジネス・プロデューサーネットワーク構築事業)に参画させていただいた。そこでは、テレビや映画、音楽などのメディア/コンテンツ領域のいわゆるプロデューサー、特にそのビジネスに携わる人材のことをコンテンツ・ビジネス・プロデューサーと定義し、コンテンツ以外の領域でも広くビジネスを構想し、実施し、運営する能力を持った人材のことを汎用性を持ったビジネス・プロデューサーと定義した。要するに、汎用的な知見と技能を併せ持ったビジネス・プロデューサーが特定の領域のビジネスについての知見や経験を得ると、特定領域のビジネス・プロデューサーとする構造だ。
より詳細な定義を述べると、ビジネス・プロデューサーとは「ビジネスを構想し(構想・デザイン)、具体的な形態にまで落とし込み(設計)、対象となる商品やサービスを世に送り出し(開発・製造)、その実際的な展開(流通・販売)に至るまでを主体的に実施(管理・組織)する」人材となる。必ずしも起業家である必要性はなく、非営利事業に当たってもいい。そして、組織の中で、プロデューサーという肩書きが与えられていなくともよい。しかし、構想から実施までの5つのステップを自らこなせることが重要だ、とした。
製造業の世紀=20世紀に、組織は巨大化し、専門化・分化が進み、タコ壺化が進行した。その反省もあって、21世紀に入って分野横断的な課題の解決に当たる人材の重要性が叫ばれるようになった。そのような人材は、政策用語で「融合人材」と呼ばれる。複数の、それも性格の異なる領域を学んだ人材のことだ。
例えば、文系でありながら理科系の領域に深い知見を持つ人材、あるいは、芸術系でありながら工学などの知識を持った人材や、体育系でありながら医学や工学など異分野の知見を併せ持った人材の育成が重要視されてきた。しかし、その成果はなかなか現れていない。
プロデューサーもそんな融合人材の一つとして捉えられてきた。すなわち、コンテンツとビジネスの双方に明るい人材である。しかし、実際にはそんな人材は少ない。日本では「プロデューサー」と呼ばれる人々の多くが、プロフェッショナルとしての機能や知見・技能から呼称されているのではなく、役職の一つとして位置付けられていることが多いこともその一因だろう(例:テレビ局のプロデューサーなど)。
また、融合人材としてとらえられるとき、その活動領域はとてつもなく幅広くなり、法律の知識だけでも極めて広範なものが求められ、かつクリエーターやエンジニアなどとも会話できる人といったスーパーマン的な定義がなされてしまいがちだ。いってみれば、芸術(音楽)大学を卒業して、法律大学院とビジネススクールを修了したような人、といった感覚である。そんな条件を満たす人はごくごく少数存在するだろうが、極めて稀だろう。少なくとも、僕は会ったことがない。
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