PowerPointが先導するプレゼンテーション

 SFCの授業に見られる特徴の1つはグループワークが多いことだ。グループワークとは、履修している学生を5人から10人ほどのグループに分け、議論をしながら課題に取り組みアウトプットをするという授業のスタイルだ。グループワークの課題が出される多くの授業では、授業時間中は先生の講義があるためそれ以外の時間帯を使って作業することになる。このため学生たちはメディアセンター(図書館)に夜遅くまで残ったり、そのまま学校に泊まったり(“残留”と言われている)しながら共同作業に取り組むことになる。

 もちろん毎晩残るわけにも行かないので、電子メールやメッセンジャーなどを駆使してコミュニケーションを取っていく。以前の記事で学年が進んで行くに連れてメッセンジャーの登録人数が膨れあがるという話題に触れた。SFCの学生は、サークルやゼミなどのある程度流動性の少ない環境以外に、毎学期変わるグループワークにも参加し、その都度新たなメンバーをコンタクトリストに追加していくため、学年が進めば進むほどコンタクトリストの登録人数が増えていくことになるのだ。

 学生はグループワークの過程でメーリングリストやメッセンジャーといった仕組みやツールを駆使しているが、最大の関心事は評価、つまり成績である。グループワークがある授業の中には、試験がなくグループワークの成果によって評価されるものも少なくない。その場合、共同レポートを提出させる授業もあるが、多くの場合はプレゼンテーションによって評価される。そしてほぼ全てのプレゼンテーションで使われるソフトがMicrosoft Officeに入っているPowerPointだ。

 PowerPointはいわば紙芝居作成・再生ソフト。スライドを作成する作業から、スライドショーとして1枚ずつめくりながら発表の演出をすることができる。プレゼンテーションに活用できるソフトは他にも、AppleのプレゼンテーションソフトKeynoteや、Adobe Acrobatを全画面表示にすれば、同じように1枚ずつめくるスライドショーを実現できる。Flashでも同様のことが可能だ。

 ちなみに僕はPowerPointよりもこれらのソフトの方が好きだ。KeynoteやAcrobat、Flashでデータを作っておくと、発表資料からポスターを作る、冊子を作るとなった場合、図形データはそのままコピー&ペーストしても印刷に絶えうるクオリティで活用できる。特にデータを作り直す必要がない点が魅力だ。僕の研究室の先生もデータの取り回しを考慮に入れた上で、「ウェブに載せてもブラウザだけで閲覧できる」と授業資料をFlashで作成していた時期があった。

 しかし学生からはすこぶる不評だった。Flashプラグインは全員持っているものの、「スライド単位での印刷に向いてない」という意見や、「(ダウンローダーソフトがなけえれば)ダウンロードして保存できない」という意見が寄せられた。Acrobatはともかくとしても、Macユーザーの中にもKeynoteを入れているユーザーは少ないし、そもそもMicrosoft Office以外の編集するソフトが入ってない。結局先生はPowerPointでの授業資料作成に切り替えてしまったそうだ。SFCではプレゼンテーションと言えば「パワポ」(PowerPointの略)だし、「パワポ」と言えば発表のことを指すくらいに、PowerPointが普及しきっている状況になっている。

 さてグループワークの話に戻る。グループワークでは皆がPowerPointを使っているため、作業の分担が可能だ。例えばプレゼンテーションの冒頭部分を作る人、データ一覧を作る人、グラフ化と考察担当、結論担当といった具合で、バラバラにスライドを作ったとしても、メーリングリストなどでPowerPointのファイルを送り合い、冒頭部分を作った人が自分のスライドに他の人のスライドを追加していけば、1本のプレゼンテーションができ上がる。グループワークで成績が評価される点を考えれば、はじめからアウトプットを見据えて分担を決めて作業を進めるという方法は、確かに効率が良いかもしれない。

 そうやって作られたプレゼンテーションを見ていると、ついつい退屈だな、感じてしまう。自分が関わるグループワークも多聞に漏れず退屈なのだろう。考えられる理由としてはPowerPointがグループワークの集大成になっているためではないか。そこにグループワークでやった全ての情報を詰め込まなければならないので仕方がない。しかし良いプレゼンテーションの経験をしているかというと、決してそんなことはないのではない。事実、退屈なのだから。

 原因の1つはビジュアルの分量に関係なく、文字の多さだと思う。文字が多すぎると発表者もスライドの文字を読んでしまうが、もっと問題なのは発表者がスライドを読んでしまうことだ。いわば発表の台本を見せながら喋っているような状態で、喋っている人よりもスライドありきのプレゼンテーションになっている感覚がするのだ。

 SFCの人気教授である佐藤雅彦先生は「バザールでござーる」や「スコーン」などのキャッチーなCMを作ってきたが、佐藤先生の授業の中で「音は映像を規定する」というルールが紹介されているのが印象的だった。ドアが閉まる音と映像を見ればドアが閉まったと分かるが、他のモノがある点を中心に動く動作に、きしんでバタンと閉まる音をつけても、人はドアが閉まったと思う、というルール。佐藤先生はそのくらいに表現にとって、そして人にとって音は重要だと教えてくれる。

 このルールを参考にして退屈なプレゼンテーションを考えてみると、ルールとは全く逆のことが行われている点に気付く。つまり音(発表者の声)が映像(PowerPoint)を規定しているのではなく、映像が音を規定してしまっているのだ。テレビの字幕は音のサポートをしているが、退屈なプレゼンテーションでは字幕ありき、ということになる。言うことがはじめから画面に出ていては、インパクトも半減してしまうのではないか。

 もちろんスライドのアニメーションなど、工夫をする点はいくらでもあるが、スライドありきのプレゼンテーションから脱却しない限り、やっぱり退屈なプレゼンテーションが作られ続けることになるかもしれない。

 これではまるで、PowerPointを軸にしたグループワークが退屈なプレゼンテーションを作り出しているようだが、決してそういうわけではない。次回はPowerPointの、プレゼンテーション以外の使われ方について紹介しようと思う。

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