わたしは生誕何周年とかいう記念日的なことが特に好きなわけではない。しかし、2006年8月、コンピュータ業界は静かに祝ってみる価値のある1つの節目を迎える。1981年8月12日にIBMがPCを発表してから、今年はちょうど25年目にあたる。
IBM PCの発表はテクノロジーの世界に大きな変化をもたらした。それ以降、コンピュータ業界には、WWWの発明も含めてさまざまな変化がもたらされたが、IBM PCのデビューほど大きな変化をもたらした事件は起こっていないといっても決して大げさではない。
当時、パソコンを出すというのはギャンブルだった。IBMは、一般大衆向けのコンピュータなど作っていなかった。IBMといえば、メインフレーム、それに続くミニコンと、大型コンピュータの代名詞のような会社だった。しかし、パソコン市場は無視するにはあまりにもうまみがありすぎた。それまでは、パソコンビジネスの世界は変わり者や取るに足らない人物であふれかえっていた。その中には、後にシリコンバレーの顔となるApple Computerのような企業も含まれていたのではあるが。もちろん、興味深いさまざまな人物が次々と登場したが、ビジネス界の人たちが欲しがるような製品を作る大物は現れなかった。
そこに、登場したのがDon Estridgeという人物だ。フロリダ州ボカラトンの人里離れたオフィスで働くガッツある技術者チームと、猛烈な重役として知られる同氏の懸命な努力が実を結び、IBMの経営陣はパソコンには特別な何かがあることに気づかされる。
IBM PCは、IBM自身も想像しなかったほどの大成功を収めた。そのあまりの成功ぶりに、Compaq、AST Research、Gateway、Dellといった、多くのクローンメーカーが登場した。これらのクローンメーカーの大半はその後、倒産するか他社に買収された。
IBMが出した最初のPCはもちろん機能的には制限されていたが、将来に夢を持たせるものだった。IBMは、PCが単なる趣味の領域を大きく超える存在になることを証明した。IBM PCは仕事にも使える立派なコンピュータだった。そして、米国や他の国々の大学が輩出したエリートたちがパソコン業界に引きつけられていった。業界の未来をさえぎるものは何もなかった。
誰もがそう思った。しかし、ほどなく失望が訪れることになる。「スタートレック」の宇宙船Enterprise号のクルーたちと同じようにコンピュータとやり取りできるようになるのにそう時間はかからないだろう、と一部の人たちは信じていた。しかし、その夢は、いまだにSFの領域でしかない。
Michael Dertouzos氏は、自身の多くの著作で次のような疑問を投げかけたことで有名だ。同氏は、MITのコンピュータ科学研究室で20年以上教鞭をとった優れたコンピュータ科学者だった。その疑問とはこうである。「なぜ人間は未だにコンピュータに奉仕しつづけているのだろうか。コンピュータが人間に奉仕する日はいつやってくるのか。」彼は、パソコン技術の発達にもかかわらず、人間とコンピュータの関係をいまだに規定している面倒で厄介な作業にがく然としたのだ。コンピュータを操るのは、依然として骨の折れる仕事のままであると。
実際にはどれひとつとっても、コンピュータが人間に奉仕するような世界を実現するのは言うほど簡単ではない。かといって、コンピュータ業界が旧来的なものにしがみついているのを責めることはできない。それが利益の出る方法なのだから仕方のないことだ。この25年間、コンピュータ業界は「十分に使える」製品を出すことで数十億ドル規模のグローバル産業に成長してきた。
Dertouzos氏がもういないのは残念なことだ。音声認識が日々改良され、無線技術も進歩し、より多機能なモバイル機器が登場するなか、シリコンバレーの企業たちは、人間中心型のコンピューティングという概念に近づいてきている。これまでの25年間は、植物の成長を見るような遅々たる歩みだった。しかし、これからは違う。人間中心型のコンピューティングの恩恵を受けるのにさらに25年も待つ必要はないだろう。
少なくともわたしはそう願っている。
著者紹介
Charler Cooper
CNET News.comの解説記事担当編集責任者
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