Apple ComputerのiPodは、極めて単純なユーザーインターフェースを上品なデザインで仕上げた小粋な「情報家電」だ。国内家電メーカーのライバル製品はiPodになかなかかなわないでいる。その秘密は、iPodがデジタル情報家電でありながらも、極めてローテクな「スローライフ」を志向している点にあるのではないか。
サルの生態などについて研究する「サル学」という極めて興味深い学問がある。下手に人間社会へどっぷり浸かったまま同類を眺めるよりも、より一層「ヒト」の深い部分に到達するような洞察が得られるのだ。
例えば、ベストセラー新書『ケータイを持ったサル−「人間らしさ」の崩壊−』(中公新書)の筆者である京都大学霊長類研究所教授の正高信男氏の新刊『考えないヒト−ケータイ依存で退化した日本人−』(同)を読むと、知ったかぶりな精神分析医のコメントよりもよほど示唆に富んだ現代テクノロジー論に接することができる。
前書と共通するメッセージは、どこでも多様な形式でコミュニケーションできるようにした個人向けツール=ケータイが、現代人の行動様式をサル化しているというものだ。例えば、野生のチンパンジーの群れの下位集合であるパーティー(メンバーの入れ替えが頻繁に起こる数匹のグループ)の行動様式と、夜間でも渋谷の街中やコンビニエンスストアの前に集う若い人々の行動形態は極めて類似してきており、それを加速しているのがケータイというテクノロジーだと正高氏は指摘する。
これまで私たちは散文や詩歌などをはじめ、高度な抽象性を持った記号としての言語を巧みに操り、複雑な情緒表現を、一種「行間」すら用いながら実現してきた。だが今、文化を実践する手間を省くために、ヒトとして作り上げてきた文化を算盤から電卓、コンピュータへと急速に進展するテクノロジーに預けてしまっている。そしてその「外部化」によって、結果的に自らの内部から文化を追い出してしまう傾向には、どんどん拍車がかかってきている。
結果、自身の内部で緻密に作り上げた計画に従って何らかの目的を達成するよりも、コンサマトリー(即時報酬性の高い刹那的で自己的な行為)なコミュニケーションや消費を好むようになり、ついにはこれまでの価値観であれば十二分に耐えられる程度であっても不快と感じて、そんな状況に対して反射的に行動を起こすといった「動物的」な行動様式をとるようになりつつある。
しかし、この現実を一概に「サル化」と呼び、それをイコール「退化」として嘆き、否定する気には僕はならない。単純なその判断は、素朴なヒト至上主義に裏打ちされたものではないか。「おサルで何が悪い」とちょっと開き直ってしまってもいいかな、とすら思う。
もちろん、サル学やそこから得られた知見や洞察に文句をつけたい訳では毛頭ない。前述のとおり、むしろその慧眼ぶりには大いに敬意を抱いている。また、これまで築き上げられてきた文明をないがしろにする気もない。
確かに、一瞬何語で話しかけられたのか戸惑うような外来語交じりの日本語よりも、美しい響きを持った和語のほうが格調高いという印象は僕にもある。また、和語に対する尊敬も憧憬もある。しかし、言語は生き物であり、時代は変わるものなのだ、という認識も同時に強い。
これまでの文化という慣れ親しんだ環境=デファクト・スタンダードを維持しようとする「過剰な慣性(Excess Inertia:経済合理的性があるにもかかわらず、新しい環境に移行しないこと)」が働くのは極めて当然だが、新たに発展してきたテクノロジーと私たちとの相互作用によって、これまで築いてきた文化とは異なるベクトルが生じてきたことを素直に受け入れてもいいのではないかと思うのだ。
そしてこのような意識を持ったとき、今後これ以上に進化しうる私たちの身の回りのテクノロジーはどうあるべきかというインサイトが得られるのではないか。
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