日本のIT業界の顔であり、僕のかつての上司でもあったマイクロソフト日本法人(MSKK)執行役 最高技術責任者(CTO)の古川享氏が退社することが発表された。これまではマイクロソフトという企業の活動を通じて、日本のPCの、そしてITのよりよい姿を実現するために精力的に活動をしてきた古川氏が今後どのような活動をするのか、多くの人が興味深く見守っている。
マイクロソフト×日本という視線
僕が思うに、彼を慕う人たちのほとんどが「マイクロソフトの古川」ではなく、「日本のPC業界のリーダーである古川」という人物として彼を見ているのではないかと思う。というのも、古川氏は常にマイクロソフトというPC業界の雄を代表するだけでなく、その内外で日本のITをどう生かせるかという視点を常に持っていた。このことが、彼との会話、あるいは彼の行動を通して伝わっているからであろう。
マイクロソフトがまだベンチャーで、PCそのものが産業として成立していなかった頃、アスキーの西和彦氏と共に古川氏が日本でのPC産業の育成に奔走されたと聞く。その後、MSXという日本語環境に特化した仕様の確立にも尽力した。まだまだPCそのものでは技術的に日本語を扱えなかったからだ。残念ながらMSXそのものは成功したプロジェクトとはいえなかったが、数多くのハードメーカーがその趣旨に賛同したことは間違いのない事実だ。
その後、DOS-Vのように日本語を表示するデータをあらかじめ焼きこんだROMがなくとも日本語を扱える環境が整備されたことで、日本特有のハードウェアを製造する必要はなくなった。このため、米国など海外のプレイヤーが日本のPC市場に直接乗り込んでくるようになった。ただし、そんな状況となっても、「日本市場にとってより良い製品を作ることが結果的にマイクロソフトのメリットに結びつく」という論理に従って古川さんは動いたに違いない。結果として日本では、2バイトコード市場としては早期に欧米と同じソフトで日本語が扱える環境が整ったのではないか。
PC文化の完成と共に変わった環境
しかし、PC文化が完成するにつれて状況は大きく変わっていった。ウィンドウズの登場、インターネットの普及といった環境の変化とテクノロジーの進歩は、これまで別の存在だった家電製品や通信機器、そしてゲーム機とPCとの距離を急速に縮めた。簡単に言えば、ソニーがマイクロソフトのライバルとして挙げられる時代になったのだ。
MSKKはこれまでと本質的に異なる立場、すなわちOSやアプリケーションを日本市場に販売するだけでなく、ネットや家電などのプレイヤーと協業したり、ときには競合したりしなければならなくなった。だが、そう簡単に組織は変えられるものではない。もちろん日本法人だけでなく、マイクロソフト本体にも迷いが多かったことだろう。そこの調整に古川氏は奔走したのではないだろうか。その様子は、かつてのMSXの時代のように外から見えるものではなかったが、ありがちな外資系企業のリーダーのように、何でもかんでも米国や欧州そのままの製品や仕様で日本を埋め尽くそうという発想とは無縁ではなかったか。
その後、PCそしてマイクロソフトの製品や戦略が国を超えてデファクトスタンダードになり、競合とのかけ引きが少なくなった時点で、古川氏にとっての中心テーマは日本の市場や文化がどうしたら活力を持つようになるのかという点に移っていったのではないか。古川氏はサラリーマンとしてマイクロソフトに就職したのではなく、彼が夢見る世界と自己実現のため、起業家の活動のための舞台としてマイクロソフトを選んだのだろうから。そしてその延長線上に、今回の退社があるのだろう。
とはいえ、具体的に彼が何をするのかはわからない。発表されているように、25年間全力疾走できた古川氏にとって、しばしの休養が必要ということは間違いないだろう。だが、古川氏はぼんやりと時間を過ごすことが最も苦手な人だ。彼が以前語っていた内容から想像するに、教育や文化といったOS以上に「ソフト」な世界でITをどう活用するかという課題へのチャレンジに彼が駆りたてられているのではないか、とも思う。
ビル・ゲイツが今月末に主宰する古川氏の「卒業式」でどんな発表がされるのか楽しみにしておこう。
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