Oculus Questではいろいろなことができ、その多くがとても楽しい。それでも、ほとんどの人にとっての必需品ではない。写真のようにリアルなわけでもなく、この先一生使い続けるものでもない。そういうものとはちょっと違う。スマートフォンやそのアプリ、自分の仕事の大半、自分がするあらゆること。VRはそういったことからの逃避なのだ。VRは現実世界から遮断される。だから、隠れ場所として楽しめる空間なのだ。それが、隠れるどころか情報を流出させてしまったFacebookの取り組みのひとつだとしても。
だが、VRがほかのアプリのエコシステムから切り離されている状態もそう長くは続かないだろう。最終的には、ほかのアプリもVRと連携しなければなくなるからだ。オーディオでいえばヘッドホンのように、VRは私たちの作業環境でそれと同じような役割を果たしていく必要がある。スマートフォンには相応のプラグインサポートが必要で、「Android」と「iOS」も同様だ。Zoomにログインしたり、Slackをチェックしたり、マルチタスクをこなしたり、仮想世界への出入りを難なくできるようになる必要がある。これは残念だが避けがたいことであると同時に、便利そうでもあり、VRヘッドセットを装着するたびに目隠しをされているかのように感じたくなければ、不可欠なことでもあると思える。
Oculusが選りすぐっているOculus Questのアプリはたいてい傑作で、ゲーム世界の優れたVR体験もほとんどが驚くほどうまく移植されている。だが、万人にお勧めできるデバイスではない。VRの世界に入るプロセスは、ときどきうまくいかず、筆者も壁に手をぶつけたり、見えていなかったデスクに頭をぶつけたりすることがある。バッテリーの消費も早すぎる。ハードウェアがクラッシュしたり、ストレージ容量が不足したりすることもある。解像度は、画質の優れたモニターの代わりになるほど高くはなく、映画観賞用としてメインで使えたりもしない。しかも、完全に個人用なので、同じ家にいる人とも共有はできない。全員が同時にできるものではないのだ。VR世界に入ってからの操作も、子どもにはやさしくない。少なくとも、「iPad」のようなわけにはいかない。ほかの皆からは離れて、筆者だけが試しに使っている感じだ。
色々と述べてきたが、筆者にとっては、注目して使い続け、アプリを調べたり、次の新機能を探したりしたくなるものではある。Oculus Questは、多くの点で、次なる新しいテクノロジーのプロトタイプの域をまだ出ていない。それでも、ケーブルがなく、すぐに没入できる未来の形として何が可能なのかをちゃんと示してくれた初めてのデバイスなのだ。
Oculus Questは、Facebookのソーシャルメディアプラットフォームの多くについて、筆者が毛嫌いしてきた気持ちを克服させるほどの良さを備えている。次はどんなものが登場するのか、知りたくなるほどの良さがある。常に充電し続け翌日、翌々日も使えるように備えておくデバイスのひとつに分類できるくらいには申し分ない。
筆者はOculus Questが大好きだ。自宅に押し込められ、外の世界に簡単には出ていけなくなった今の世の中では、こうしたデバイスが今まで以上に必要になるだろう。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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