電子書籍ビジネスの真相

「緊デジ」問題を読み解く11の疑問(後編)--「黒船病」にかかった電子書籍の識者たち - (page 2)

林 智彦(朝日新聞社デジタル本部)2015年10月20日 08時30分

疑問7~11について

 ここから先はワンセットで検討した方がわかりやすいので、1つの図版にまとめてみました。

 河北新報などの報道によると、会計検査院が2014年12月にJPOを、15年2月に経産省を実地検査した際、配信状況を尋ねるアンケートに、全340社のうち、40の出版社が回答したとのこと。

 回答した40社が電子化を依頼した1万8463タイトルのうち、実際に配信されていたのは、1万6087タイトル。残りの2376タイトルは、未配信であることがわかりました。

 比率にしてみると、全出版社のうち、調査に回答したのは約12%、回答のあった出版社の配信タイトルのうち、未配信が約13%あった、ということになります。

 回答のなかった300社の配信タイトル(4万6370タイトル)のうち、未配信の書籍の比率が、回答のあった40社ともし同じと仮定すると、約6000タイトル(5967タイトル)が未配信ということになります。判明分の2376タイトルと合わせると、約8000タイトル(8343タイトル)が未配信と推定できます。

 JPOは10月5日の記者会見で、改めて全出版社を対象にして調査をすると発表しましたが、想定されるのは、現時点で未回答の出版社を含めると、「未配信率」はさらに高まるのでは? ということ。となると、次の点が疑問です。

疑問7)なぜ未回答の出版社が多数あるのか?
疑問8)未配信の電子書籍は何冊あるのか?

 未回答には、理由があるのでしょう。配信数があまりにも少ないか、多いか。普通に考えると、前者の可能性が高いと思われます。JPOは2015年10月末に結果を発表するとしていますが、そこで、「とんでもない数値」が判明したりしないことを、祈りたいものです。

 次に気になるのは、この「未配信」の書籍が、いつ「配信可能」になるのか、いや、配信可能になる日がそもそも来るのか、ということ。

 「緊デジ」は、多額の復興予算を費やした国家的プロジェクト。JPOは「電子化するまでが事業内容で配信は含まれていない」という立場を取っていますが(河北新報2015年10月3日)、常識的に考えて、配信する見込みが立たないのであれば、補助金は返還すべきでしょう。

 その点で気になるのが、次の2点です。

疑問9)「準備中」はなぜ多いのか?
疑問10)「技術的理由」とはなんなのか?

 現時点で「未配信」が確定している2376タイトルのうち、「準備中」とされている書籍が689タイトルあり、残りは何らかの理由で、配信が不可能な状態になっているようです。

 そもそも、この「準備中」というのが不思議です。緊デジの事業が終了して1年8カ月が過ぎた時点で「準備中」というのは、いったい何を準備しているのでしょうか?

 「準備中」以外の「未配信」の理由として、「著作権者の許可を得ていなかった(924件)」「技術的な修正が必要(763件)」という2種類の回答が挙げられています。

 前者は緊デジの申請条件として、「著作権者の許可を得ていること」が挙げられていた以上、100%出版社の責任ですが、問題は、後者。

 筆者が、制作に携わった関係者から聞いたところによると、そもそも、プロジェクト終了時点で、ファイルができていないのに、形だけ「納品」して制作費をもらった作品があったそうです。

 ということは、最悪のケースを考えると、完成していないファイルが、出版社などのPCのハードディスクに大量に「納品」されており、それが「技術的理由」による「配信不能」電子書籍なのではないか、という想像が成り立ちます。あくまでも想像ですが。

 電子書籍と紙の書籍の大きな違いとして、電子書籍は、「検品(英語ではQuality Assuranceの頭文字を取ってQAと呼びます)」にコストがかかる、という点が挙げられています。

 紙の書籍は、手に持って読めれば、「検品」は完了ですが、電子書籍は、多数の事業者、多数のビューワ、多数のデバイスで読めることを確認して初めて「検品」が完了したことになります。

 これが、容易ではありません。事業者によっては、Amazonのように検証用のエミュレータを用意してくれるところもありますが、日本の多くの事業者では、手元での検証ができず、一つ一つ事業者に渡して検証してもらう、というステップが必要です。時間がかかります。

 そこまでのコストを含めて「電子書籍化」のコストといえるのですが、どうやら緊デジでは、この検証にかかる手間と時間(コスト)が、軽視されていたフシがあります。

 「納品してないのに納品書」……こんなところにも、このプロジェクトの、緩んだガバナンスの片鱗を見ることができます。

疑問11)なぜ「6万点」だったのか?

 ここまで「緊デジ」の疑問、問題点を10項目にわたって指摘してきました。さまざまな情報を突き合わせると、プロジェクト全体に「無理」が多数あることと、情報公開の不徹底が、問題の淵源にあることがわかります。

 たとえば、「6万点」という電子化の目標です。

 なぜ「6万点」なのか? 関係者の証言を総合しますと、まず総額20億円という予算が先にあり、自炊業者の制作費の相場の平均が3万円ほどであったことから逆算して、「6万点」という目標が生まれたそうです。

 しかし、画像をスキャンするだけのフィックス型の電子書籍と、リフロー型の電子書籍では、制作にかかる手間や時間は大きく変わります。

 さらに、リフロー型であっても、元データがきちんと整理されている場合と、そうでない場合、元データが電子書籍に適した仕様のものである場合と、そうでない場合とでは、制作難易度はかなり異なるでしょう。

 ところが、緊デジにおいては、「平均3万円」という数値が先に立てられ、そこから制作費が機械的に設定されたフシがあります。下記は出版社に対して提示された「料金表」です。


 これを見ただけでは、高いのか安いのか、よくわからないと思いますが、実際に制作に携わった方からは、不満の声ばかりが聞こえてきます。

 「担当者1人がこの仕事にかかりっきりになっても、2日で1冊仕上げるのがやっと。これでこの料金ではやっていけない」「原価より安く、電子書籍制作に本気で取り組む意欲をなくした」……。

 「6万点」という数字が先立ち、つじつま合わせを現場に押し付けた実態がよくわかる証言です。

 そもそもこの「6万点」という目標数字自体に、無理はなかったでしょうか? 次の数字と比較してみてください。

書籍の年間新刊発行タイトル数:5万6044点(2013年)※出版科学研究所「出版年鑑」

 紙の本の年間発行点数を上回る数の書籍を、実質、約半年くらいでデジタル化する、それが緊デジというプロジェクトでした。

 「ゼロから作るのではなく、もともとある本を『電子化』するのだから、それほど手間はかからないのではないか?」。こういう話は、緊デジに限らず、いろんなところで聞かれますが、間違っています。

 理由は3つあります。そのうち、第1のものは現在ではだいぶクリアされましたが、第2、第3のものは、いまだに課題として残り続けています。

  1. ビューワの仕様が安定しなかった
  2. 元データの仕様がバラバラである
  3. 検証(QA)、校正・校閲の手法が確立していない

 「1」について。同じEPUBのファイルを読み込ませても、事業者やOS、デバイスの違いによって、見え方が違う、という現象は、いまだに起きています。印刷・製本してみれば簡単にわかる紙の本と違って、電子書籍はこれを調査するのがまず、大変です。

 ましてや、緊デジが実施された2012~2013年は、今よりはるかにビューワ間の違いが大きく、しかもデバイスOSのバージョンアップで、ひどいときは毎月のように、仕様が変化していました。

 2015年の現在では、制作側にもノウハウが蓄積され、現状のEPUBビューワの限界もわかってきたため、それほど慌てることは少なくなっていますが、当時は、イタチごっこのような状態だったと考えられます。

 「2」も大きなコストアップの要因です。ひとくちにWordやInDesignのデータといっても、その中身はさまざま。画像やテキストがきちんと整理されていて、画像の解像度も電子書籍に使いやすい形で用意されていればいいですが、出版社によって、制作者によって、事情は異なります。使えないファイルであれば元ファイルを探したり、使える形式に変換したり、時には、画像を再スキャンしたり、テキストを打ちなおしたりする必要もあります。

 「3」は、1、2とも絡みますが、「電子書籍のチェックはこういう作業をこういう順番でやるべし」というワークフローが確立していないのが痛いところです。紙の書籍では、ゲラを2~3回回せば誤植や乱丁、落丁は徐々に減っていきますが、電子書籍では、「ゲラ」に相当するものがなく、直しを入れた場合、(紙より機能で劣る)画面でみるほかありません。構造やファイルに手をいれると、実機検証も必要です。

 このような事情が絡みあうと、「電子書籍の制作は、紙の書籍よりも容易」とは、とてもいえなくなります。実際、実作業を手がけている方々から、このような安易な言葉が聞かれることはありません。

 ところが、電子書籍業界では、自分で電子書籍を作ったこともなく、まともに読んでさえいないと思われる人たちが「専門家」として公の場で発言していることが非常に多いのです。

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