ケータイに革新を生み出す「無駄」の存在 - (page 2)

多様性によって経験のデザインを加速する

 日本では、ケータイを何らかのシステムに取り込もうと、それは基本的にキャリア(携帯電話会社)の業務範疇にあると考える傾向が強い。しかし、ケータイのサービスの多くが携帯電話会社からアンバンドルされている米国では、ケータイをより大きなスケールのシステムに組み込むのは必ずしもキャリアでなくともよいことになる。日本と米国ではケータイ機能の進化の方向性がある程度同じだったとしても、そのダイナミクスを構成するベクトルはかなり異なっているのではないか。

 また、利用者関連情報や通信履歴といった携帯電話会社内部の「秘伝」の情報を使わずとも、同じあるいはそれ以上の価値を提供しようというアイデア。そして、アイデアを可能にするテクノロジ=外部データベースを組み合わせて付加価値を生み出すことを、大学という孵化器を用いて開発しようとする発想もなかなかすごいのではないか。

 これが日本であれば、「秘伝」情報の使用の是非を内部で検討する、という結論が出ない議論に終始してしまうか、どこかにある研究所で自社開発するのが、ごく当然の選択肢として考えられてしまうだろう。

 その発想の延長には、企業が想定する「利用者の経験」を凌駕するサービスは生まれ出ない。前回のエントリでは「経験そのものをデザイン」する例としてauのデザインプロジェクトを挙げたが、その発想を実現するために(偶然か意図的か、僕は知らないが)外部のデザイナーの登用がなされた。社内ではなく、社外の知恵の取り込みだ。これは「イノベーションを生み出す環境=クリエイティブであること」を促進する「3つのT」の1つ、寛容性≒多様性を確保した1つの結果として捉えることができるだろう。

偶然をデザインするプロセスを求めて

 こんな驚きに通ずる話は、USCのGeoDecの例ばかりではなかった。

 すでに広く知られるスタンフォード大学の複合的メディア領域産学連携プログラム「Media X」(正直にいってサイトを一見しても、何をやっているかすぐにわかる人は少ないと思う。僕もそうだった)は、複数の学際領域研究センターが更に連携して構成したH-STAR(Human Sciences and Technologies Advanced Research)研究機構が外部に開いたコラボレーションのための窓だ。

 H-STAR、そしてMedia Xの設立に深くかかわったKeith Devlin教授によると、この世界は複雑で、それに対処するためには個別の学問やアプローチでは歯が立たなくなってきているのだそうだ。だからこそ、歴史ある学部を残しながらも、シンボルと情報・言語研究センターといった複数の領域の研究者がコラボレーションする場を作った。そして現実社会の問題解決に学際融合的に取り組むことこそが研究を最も加速させる要素になるという発想に基づき、より幅の広い研究者の連携(H-STAR)とその活動を社会とつなぐ場所(Media X)を用意したという。多様性、あるいはコラボレーションによる偶然性という、効率性とは反する環境によって、より高い生産性を生み出すことに成功している。

 Media Xにはこれまで体系だった理解があまりなされなかった複雑な産業であるメディア、そして急速に勃興してきたネットなどのサービスを提供する企業が多く集った。彼らは研究資金を提供し、自らが抱える課題の解決にH-STARの綺羅星のごとき研究者たちとコラボレーションする機会を得、そして次なる戦略の糧としている。

 しかし、ここに参加する日本企業は数少ない。東海岸のMIT Media Lab.も同様だが、その開設時には多くの日本企業が我も我もといった状況で、研究委託をし、研究員を派遣したりもした。しかし、契約期間が終わって得られたものは、「たった1枚のCD-ROM」とぼやく――これは間違った解釈であろう。複合的な環境に参加する機会を得ても、そこでコラボレーションという偶発的なイノベーション生成の場を提供することを目論んだプログラムに参加せずに、都合のいい結果のみを得ることはできないからだ。偶然をも生み出しうる「経験」そのもの、そしてそのデザインされたプロセスこそが、提供された価値なのだから。

 洗練された、無駄のないプロセスを生み出す。これが、米国のスマートな経営の発想のようにこれまで信じてきた人も多いだろう。しかし、課題解決の中で、偶然や異なる発想の導入によってこそ「目から鱗」というイノベーションが生じることも多い。これをヒューリスティックス(発見的)という発想においてプロセスとして取り込むことが可能であることも、一方知られている。仮に、イノベーションが生じる価値が、その統計的な発生確率から勘案された無駄=多様性を確保するためのコストを上回るのであれば、当然プロセスとしてシステムに組み込んだほうがいいことになろう。

 とはいえ、どうやらUSCもスタンフォードもこの発想こそは確信しているものの、そのプロセスが完成したものであるとは考えていないようだ。日々、「カイゼン」しているという。

 よく聞く「垂直統合による自由度の確保によって、日本のケータイは世界一になった」のは、過去の話だ。すでに、日本のケータイは必ずしも世界最先端ではない部分も多い。再びその栄光を取り戻すためには、偶然をデザインするなど、これまでとは異なる発想の取り込みを、かつてその栄光の原点にあった異物の取り込み(iモード開発チームの外部からの起用)を再現するように、考えてはどうか。もちろん、これはケータイに限った話ではないのだが。

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