1964年東京オリンピックから世界に広がったレガシー「ピクトグラム(絵文字)」

公益財団法人 笹川スポーツ財団 2018年01月24日 11時09分
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 「スポーツ・フォー・エブリワン」を推進する、公益財団法人 笹川スポーツ財団(所在地:東京都港区、理事長:渡邉 一利、以下 SSF)は、1964年東京オリンピックに際し、言語・文化の異なる世界各国の人々が利用する羽田空港で、ピクトグラム(絵文字)の案内板を制作した村越愛策さんのスペシャルインタビューを公開いたしました。

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▲新東京国際空港(現・成田国際空港)用に開発された各種ピクトグラム


リンク 今では日常生活でもよく見かけるピクトグラムは、実は64年東京大会のレガシーの一つ。ピクトグラムを施設案内だけでなく「競技シンボル」に使用したのは東京大会が初めてのことで、その後のオリンピックでも採用され、世界に広がっていきました。

 羽田空港のピクトグラム制作を担当した村越さんは、外国の人にも理解できるものをデザインするにあたって、満州で過ごした幼少時代に言葉の通じない中で遊んだり交流をしたりした経験が大きく影響していたといいます。東京大会でのピクトグラム導入・制作の経緯や2020年大会に期待されることなどをお話しいただきました。




 SSFでは、スポーツの価値や意義を検証し、あるべきスポーツの未来について考える機会として、鈴木大地氏、吉田沙保里氏、室伏広治氏など日本のスポーツの歴史を築かれてきた方々へのインタビュー記事『スポーツ歴史の検証』 を連載しています。
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▲羽田空港出発口のサイン

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▲1964年東京オリンピック開会式で空に描かれた五輪

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リンクスポーツ財団 スペシャルサイト『スポーツ歴史の検証』 

第68回  1964年東京オリンピックから世界に広がった
     「ピクトグラム(絵文字)」
     村越 愛策 氏
(スポーツ歴史の検証 で検索ください!)
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【主な内容】
「形態は機能に従う」ことを学んだ少年時代
「オリンピック景気」で高まった商業デザインの需要
欧州発祥の「ピクトグラム」を整備、統一
「半永久的に継承される道案内人」人生の始まり
いつの時代も変わらない「単純化」「シンプルさ」の重要性
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村越 愛策(むらこし あいさく)氏

1931年、満州生まれ。56年、千葉大学工学部工業意匠科を卒業した後、フリーランスデザイナーを経て村越愛策デザイン事務所を設立。国内外の空港、東北・上越新幹線、地下鉄・私鉄駅、公共機関・自治体・病院など幅広い分野の施設で公共サインを手掛ける。


インタビュアー 佐塚 元章(さづか もとあき)氏
NHKの元チーフアナウンサーで、現在はラジオアナウンサーなどを務める。1992年バルセロナオリンピックの開会式、岩崎恭子の最年少金メダル獲得(水泳)などの実況をはじめ、スポーツ実況を25年間担当した。


<スポーツ歴史の検証>概要
【企画制作】公益財団法人笹川スポーツ財団
【後 援】スポーツ庁、東京都、公益財団法人日本体育協会、
     公益財団法人日本オリンピック委員会ほか
【特別協力】株式会社アシックス 

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