サンフランシスコのアジア美術館で石田徹也の個展
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【サンフランシスコ2014年11月4日PRN=共同通信JBN】
*アジア美術館が米国で初めて日本人画家石田徹也の美術館展を催す
米国において初めて、サンフランシスコのアジア美術館(Asian Art Museum)は評価の高い日本人画家石田徹也の博物館初になる個展を開催する。「Tetsuya Ishida: Saving the World with a Brushstroke(石田徹也:世界を救う絵筆)」展は2014年11月14日から2015年2月22日まで開催される。
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1973年生まれの石田は社会が激動した時代の日本を生きた。19980年代の「バブル経済」の高潮、1990年から1991年にかけてのバブル崩壊、1995年の地下鉄サリン事件などが日本社会を揺るがした。
石田の世代は社会や学校に対する期待が増大したにもかかわらず、将来が不安に覆われていた時代に成人を迎えており、彼の絵も同世代が抱える緊張感に対するユニークな取り組みになっている。
2005年、石田は31歳で亡くなり、重要な業績を残して画家としての短い命を終えた。画家はブラックユーモアのタッチで抑制しているが、暗く強烈な絵は現代の脱工業化社会におけるアイデンティティーの性格や生きることの意味といった普遍的な疑問を投げかけている。「Saving the World with a Brushstroke」展では8点の作品が展示されるが、これらは画家が主なテーマとして取り組んだ分野、職場や学校におけるプレッシャー、アイデンティティーの探求、社会的混乱などをすべてカバーしている。
石田の絵には幻想と細部に至るハイパーリアリズムとが組み合わされており、多くの場合、超現実主義的な効果をもたらしている。画家の絵の中では、家や会社、公園、街路にミステリアスな人間の身体、木々、都会の断片などが入り込んでくる。ほとんどの作品に画家の自画像と思える短髪の顔が現れるが、その顔は青年の体の上についている場合、時として機械や生命のない物体と融合している場合もある。これらの組み合わせは不自然かつ心を乱すもので、絵を見る人の多くに強烈な反応を引き起こす。
この展覧会のタイトルは画家が25歳の時にノートに書き付けた言葉「私は聖人のような芸術家に引かれる。『世界は一筆ごとに少し救われる』と本当に信じている芸術家だ」に由来している。石田が自分の作品は救済を与えると信じていたかどうかは絵を見る人自身が判断することだ。しかし、手法はユーモアでも苦痛でも、石田の絵は明らかに見る人を画家の孤独で傷つきやすいテーマに直面させ、多分に共感することを強いることになる。
アジア美術館が主催した「Tetsuya Ishida: Saving the World with a Brushstroke」展のキュレーターは日本美術キュレーターであるローラ・アレン博士と同アシスタント・キュレーターのユキ・モリシマ博士である。この展覧会は同美術館だけで開催される。
詳しい情報はウェブサイト(www.asianart.org )を参照。
ソース:Asian Art Museum
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nnietsang@asianart.org
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