多くの日本人にとって、芸術や美術館という存在は、生活からは少し離れた世界という印象だろう。有名な作家や有名な作品、あるいはSNS映えしそうなデジタルアートなどであれば、見に行きたいという人も多いが、一般的には休日にわざわざ知らない人の展示会や美術展などに足を運ぶ人は少ない。一方でアーティストにとっても、個展を開く際に画廊にかかる費用や、作品の輸送費などで生活が圧迫され、なかなか作品制作に集中できないという状況も珍しくない。
そういったなかで、メタバース上で行われる展示会などにも注目が集まっている。筆者である齊藤自身もメタバース上での美術展示会の開催や開発を行ってきた。そこで今回は、経験者として、メタバースによってどのように芸術や展示会に影響するかについて見ていきたい。
「キュレーション」という言葉は、最近ではいろいろな場面で使われる。 画家の作品の中から、展示会に出品するものを選ぶときにも使われれば、コンセプトストアで売る商品を選ぶこともキュレーションと言うこともある。その場合、意味の幅が広くなりすぎてかえってわかりにくくなり、混乱を招くという問題が起こりうる。
現代社会で、キュレーションという言葉の応用範囲が広がってしまうことは仕方がないことかもしれない。なぜなら昔に比べて、現代は大量の情報に溢れているからである。見るべき画像や取り入れるべき知識もとてつもなく多いのだ。21世紀の生活には、大量の情報のうちどれがより重要なのかを判断して提示する仕事が不可欠となる。情報の数を減らし、十分対応できるようにする、それもキュレーターの役目である。
かつてキュレーターといえば、博物館や美術館などの場所に入れる物を選ぶ人のことを指していた。しかし、現代のキュレーターの仕事はそれにとどまらない。複数の異なった文化の接触を促すこと、物事の新しい見せ方を考えること、物事の意外な組み合わせを考え、それまでにない何かを生み出すこと。これら全てが今後のキュレーターの仕事になるのではないかと筆者は思う。
グローバリゼーションがある程度の段階まで進むと、世界が均質化してしまう危険があると同時に、それに対抗するような動きも起きる可能性がある。人々が自分たちの文化の中に引きこもって外の世界を見ようとしなくなるという感じだ。
また、展示はひとつの場所で実施するだけでなく、同じ展示を世界中で実施する必要性も高くなってくる。そうなると、展示物を箱に詰め、ある街から別の街まで運び、また箱を開けて展示物を並べる……、その繰り返しになってしまいがちだ。これは、グローバリゼーションによる均質化とも言えそうだが、メタバースで行う展示会では場所に応じた展示ができるという点で、表現においてもコスト面においても、メリットは多い。また、上記したように、複数の異なった文化の接触を促すことや、物事の新しい見せ方を生み出すという点においても、自由に世界を構築できるメタバースでは効果を発揮する。その土地の環境や作品の背景をよく知り、それに合わせた展示をメタバース空間内で容易に変化させるのである。
美術の展示会は、しばしば異文化交流としても活用される。ある国や土地の文化を知ってもらうために、他国の人に作品を見てもらうことで、異文化の人々は、歴史や背景、芸術的観点などに触れることができる。
実際に筆者も画家である植村友哉さんとVRChatでVR美術館と個展の開催をこれまで行ってきた。植村友哉さんはオセアニアにあるパラオ共和国との関係が深く、パラオをテーマとした絵を描くことを得意としている。そのため、パラオの風景画や彼のパラオに対する思いの詰まった作品を、メタバース上でパラオっぽい空間に展示することで、より広い表現と没入感を生み出している。また、その空間には、パラオ人作家の作品も展示しているため、日本にいながらパラオの作品も楽しむことができるのだ。
メタバースで展示空間を作るメリットとしては、もちろんリアルギャラリーへ出展する高い費用を少し抑えられるという点もあるが、作品に合わせて展示空間をデザインすることができるということが大きい。
パラオは綺麗な海に囲まれた美しい国で、植村友哉さんの作品もパラオの風光明媚さを実にうまく表現されているので、型の決まった展示空間よりも、海外の空間や海の中などに展示することで、より楽しみ方が広がる。また、現在筆者が観察している限りでは、訪問者全体の2割程度は海外の方なので、異なった文化の接触を促すことにも成功していると言える。既存の美術館の見せ方から離れ、新しい物事の見せ方を通じ、それまでにない新しい体験というものを提供できるのも、メタバースの展示会ならではなのではないだろうか。
ヨーロッパでは、学生はほぼ無料でEU圏の美術館を回ることができる。筆者もエストニアの大学を卒業しており、現地に住んでいた当時は時間があるとよく美術館に足を運んでいた。地元や国の歴史、アートに関する知見も皆深いし、語れる。交流を通して多くを学んだ。また、欧米では作家の絵を売る役目を担う画廊が、作家のエージェントとなり、世界進出のための戦略を立てることも珍しくない。
一方で、日本の画廊ではその機能がまだ弱いと感じる。コレクションとそこに含まれる資料自体に関する情報をネットに載せているミュージアムも少なく、来館者のボリュームゾーンを占めるのが中高年層である。20代から40代で1年間に1度でも美術鑑賞をしたことのある人は、5人に1人しかいない。今後はもっと減っていくなかで、若い人はより美術に対する興味が下がってきている。
ただし、アニメのキャラクターを主役とするようなサブカルチャーの美術展や、デジタルアートとなると、人々は目の色を変える。そういったこともあってか、筆者が開いたメタバースの展示会の訪問者の多くは、普段美術館などに遊びにいくような人たちではなかった。
たしかに、芸術に興味関心が薄い人は、休日に時間があったとしても、わざわざ「美術館に行こう!」とは思わないのかもしれない。だが、普段VRやメタバースで遊んでいる人にとって、「なんかメタバースで展示会やるらしい」というのは、魅力的なイベントに聞こえるようだ。これまで行ってきたメタバースの展示会は、全く普段美術館に行かない人や、芸術に関係ない人が多くきてくださり、そこから興味を持ってくれて実際の個展や美術館に行ってみた、という声も聞いた。
これは芸術に携わる人たちにとって、良い傾向なのではないだろうか。展示会や個展を開いても、スケールメリットがあまりなく関係者ばかりが集まってしまうことが多い。一方で、メタバースで展示会を開くと、今まで接触できなかった人たちの方が多く集まる。いろいろな人が芸術に気軽に触れる機会となるのである。また、日本人だけでなく、海外からの訪問者も少なくない。
そして、メタバースで美術に興味を持ち、作家を知り、現実の展示会、個展会場にも足を運んでくださった方がいる。これがメタバースで美術展示会を開き、アーティストをサポートしたなかで、筆者が一番嬉しかったことだ。
メタバース空間に展示したのは、元となる作品の画像データである。実際にメタバースで展示会を初めて行う際、「画像データだから作品の質が落ちそう」などという心配や批判が出てきたが、これはフィジカルの常識からはみ出れてない一方的な視点だと筆者は思う。
バーチャルはバーチャルの楽しみ方がある。空中に絵画を浮かせたり、絵画にマッチした空間設計、水の中や雨の中での展示、絵の中から生き物が出てくる、そういった演出を施すなどの努力を筆者自身も行った。また、作者本人も納得の解像度であり、絵のタッチの質感も思ったより再現できているという意見もいただいた。
2022年3月に行った展示会は、台湾現地と松屋銀座、そしてメタバース上で同時開催した。フィジカルとバーチャルの接点をうまく楽しむというのは、これまでにない価値観だ。現実のために非現実があり、非現実のために現実があることで、それぞれが相互に絡み合い、新しい楽しみ方が生まれる。
土地や作品もまた、展示によって影響を受ける。つまり、展示と土地、そして作品の間のダイナミックで複雑なフィードバック・ループが生まれるわけである。重要なのは、ただ単になにをどう展示するかを選ぶだけではなく、環境との関係構築だ。一度決めたらやり方を変えないというのは、現代では特に適してないだろう。そのため環境との関係を見ながら絶えず調整していく必要がある。単に新しい知識、新しい思想、新しい芸術を多くの人に見せるいうだけが展示会の役目ではなくなってくる。そういったことがメタバース展示会では実現しやすい。
また現代社会は、以前の時代と全く違う状況下にあるため、かつては、物資、食糧の不足が人類にとって最大の問題で、それが科学、テクノロジーの革新を促す最も強い要因になっている。今では生産過剰、資源利用の問題がそれと同じが、より大きな問題となっている。
こういう時代には、物を普段置かれている場所から動かすことの意味が前よりも深くなっていると言える。選別、プレゼンテーション、対話、そしてテクノロジーといった手段を使えば、旧来の持続不可能なやり方に頼らなくても、人類は真の価値を新たに創造し、交換し合える。
バーチャルがフィジカルの代替、あるいは現実の1次元的な拡張というだけでなく、それによってそれぞれが縦にも横にも拡張し、より人生が豊かになったり、新しい可能性が見出せると楽しいと筆者は思う。
メタバースには国境はない。これまでのメタバース展示会も、多くの外国人の方に観に来ていただいた。そういう点でも、日本と海外、現実と非現実、またそれぞれのコミュニティの垣根が、メタバースでは自然となくなっていくのかもしれない。
齊藤大将
Steins Inc. 代表取締役 【http://steins.works/】
エストニアの国立大学タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究。バーチャル教育の研究開発やVR美術館をはじめとするアートを用いた広報に関する事業を行う。
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