がん治療後も生涯続くリンパ浮腫--「ケアと美しさ」を両立する医療用ストッキングを開発したencyclo水田氏・齋藤氏 - (page 2)

既存製品が考慮していなかった「お腹のむくみ」にも配慮

——ちなみにお二人はどんな風に役割分担されているのですか。

水田氏:業務委託などで他にも何人か関わっていただいていますが、社員としては私たち2人だけです。当事者の方を集めてヒアリングやインタビューをするなど、商品開発全般に関わる部分は私が担当しています。がん経験の当事者でもありますので、深く突き詰めて話を伺い、徹底的にこだわって商品の完成度を高めていく役割です。

齋藤氏:私は、主にバックオフィスを担当して会社の運営をメインにしています。水田さんは自分自身のペインから課題解決に向かってまっすぐ突き進むタイプなので、課題の深堀りができる。一方、私は、他のリンパ浮腫当事者の話を聞いて抽象化をしながら、本質的なペインがどこにあるのかを追求し、限定的な商品開発になってしまわないよう、第三者的な視点で意見することが多くあります。また、社会やビジネスの潮流と絡めて、より価値を広げていけるように考えています。

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——社内ベンチャー制度で応募したときから、アイデアとしては変わらず、同じものだったのでしょうか。

水田氏:かなり変わりましたね。私も齋藤さんも、がん後の人生を心地よく楽しく、生き生きと過ごせるようなものを、という点で全くブレてはいないんですが、当初はがんの当事者同士が交流できるコミュニティみたいなものや、療養中に便利に使えるものが買えるショッピングプラットフォームなど、全然違ったプランをつくっていました。

齋藤氏:最初はピンポイントでリンパ浮腫のことは考えていなくて、がんという大きなテーマで捉えていたんですよね。入院中はもちろん、退院してからも不便なことがたくさんあるので、そういうときのお助けグッズや情報を提供する仕組みを考えたりもしましたが、考えれば考えるほど、「本当にそれが私たちのやりたいことなんだっけ?」と。

 そういう迷いが、おそらくプレゼンしているときに経営層の人たちにも伝わったんだと思います。「本当にあなたたちがやりたいことはそれなの?」みたいなことを何度も、いろいろな角度から質問されて、その都度、色んなことに気づかされてプランを修正していきました。

水田氏:コミュニティやショッピングプラットフォームのような、他にもありそうな事業アイデアは経営層に納得してもらえませんでしたが、リンパ浮腫当事者のための商品という、あまり世の中には顕在化していない課題だけれど、可能性の大きいテーマにたどり着いて、ようやく承認をもらえました。

 医療の発展とともに、今後さらに人のQOLという部分がよりフォーカスされるようになるでしょうし、グローバルも視野に入れると市場規模も大きいと考えられます。事業として発展性がある、がん後のQOLをテーマにすることはブルーオーシャンの領域であることを、プレゼンで伝える努力をしました。

 ここでも、自分の経験から未着手の課題を発見できた私と、広く社会の潮流を捉えて一般化する齋藤さん、というそれぞれの役割分担が生きたのかな、と思います。

——製品化後、利用されたユーザーの方からはどんな声が届いていますか。

水田氏:化粧品開発経験を活かした医療用弾性ストッキング開発のチャレンジだったわけですが、とにかく見た目の美しさ、履き心地、そして何よりリンパ浮腫ケアの機能にこだわりぬきました。

 開発中から数十人の当事者の方にヒアリングしたり、モニターしてもらったりしていたので、自分と同じような悩みを持つ人にきっと喜んでもらえるだろうと思っていました。ですが、製品として世に出してみるまではやっぱり不安でしたね。今まで自分がポーラやオルビスという会社の下でつくってきた商品を出すのとは違う緊張感があって、もし誰にも受け入れてもらえなかったらどうしようと。

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 でも、実際に使っていただいた方からは想いのこもったメールをよくいただきます。まさにこういうものが欲しかったとか、もうスカートを履けないと思っていたけれど、このストッキングなら気にせずにスカートが履けるからすごくうれしいとか。気持ちが明るくなって、新しい洋服にチャレンジしてみたくなった、といったリアルなお声をいただいて、手応えはとても感じています。

齋藤氏:ユーザーの方だけでなく、実は医療機関からの評価も高いんです。リンパ浮腫は、脚というより、最初はお腹、下腹部がむくんでしまう方もが多いんですね。従来の製品はそういうお腹の部分のケアはほとんど考慮されていないんですが、私たちの製品は、当初から水田の経験や当事者の方の声から腹部のケアにも焦点を当てて開発していました。

 それが医療機関の方によると、意外とどこのメーカーも配慮していなかった部分のようで、お腹のケアが考えられた製品がずっと欲しかったと高く評価をいただくことができました。手術直後だと、一時的なむくみかもしれないし、治るかもしれないから様子を見ましょうなどと判断されて、数カ月後の通院のときまで放置されてしまう、みたいなケースもあると聞きます。当社の製品なら、そうした初期や軽度な症状のケアにも利用しやすいので、これからはリンパ浮腫の早期ケアの啓発活動も広げていきたいと思っています。

水田氏:医療機関から高く評価いただいたポイントは、まさに当事者としてほしかった機能でした。自分自身もですし、多くの方にお話を伺う中で、最初にむくんだのはお腹だったというお声をたくさん聞きました。そうした声に応えようと、お腹部分をほどよく圧迫できる、ストッキングにガードルを合体させたようなつくりにしました。

 それと、術後はお腹の真ん中に大きな傷跡が残ることが多いんですが、そこにぶつからないように縫い目をずらしつつ着圧をかける、というような工夫もしています。かといって、縫い目を足の付け根に移動してしまうと、立ったり座ったり歩いたりすると食い込んで、むくみも悪化してしまいますから、その点も考慮した設計にしていますね。こういうことは、一つひとつ当事者の声を聞きながら開発することで取り入れられた特長です。当事者の声にはとても価値がある、と改めて実感しました。

お腹の傷跡にぶつからないように縫い目をずらすなど、きめ細かい工夫も
お腹の傷跡にぶつからないように縫い目をずらすなど、きめ細かい工夫も

——反対に、ユーザーの方からの改善要望はありますか。

水田氏:いくつかあります。リンパ浮腫は個人差の大きい疾患でもあって、症状の重さも違えば、症状が出やすい部位も違ったりします。足首が太くなる人や、太ももが太くなる人もいますし、脚ではなく腕のリンパ浮腫の人もたくさんいらっしゃいます。そうした症状に対応するものがほしいというご要望をいただくことが多くあります。多様な症状に合わせてすべてに対応していこうとすると商品が無限に必要になってしまいますが、いずれはより広い症状の方に使っていただける商品を加えていきたいと思っています。

——水田さんご自身、開発された製品を使われていると思いますが、それによって以前と比べて行動が変わったとか、行動範囲が広がったとか、ご自身の気持ちが変化したようなところがあれば教えていただけますか。

水田氏:以前はリンパ浮腫の話をするのは、わかりにくい疾患、ということもあってどうしても話しづらいところがありました。その話をすると、分厚い弾性ストッキングを履いている脚に注目されてしまうからです。でも今はリンパ浮腫の話をして脚を見られても、自慢できるくらいのものを履いているので、堂々とリンパ浮腫について話せるようになりましたね。

 一度は服装も、外出も、旅行も何もかも消極的になってしまったところから、再びいろいろな服装にチャレンジしてみたいと思えるようになったのも大きな変化です。そういった「取り戻せることの幸せ」を自分が実感したことで、命が助かった後、楽しく生きられるようにすることもすごく大事、とより想いを込めて伝えられるようになったと思いますね。

——ところで、水田さんはCancerXでも活動されているとのことでしたが、社外活動について教えていただけますか。

水田氏:がんの課題はものすごく幅が広くて、多くの人が別々に取り組んでいるとなかなか前進しないんです。ですから、当事者、医療関係者、研究者、行政、民間企業など、さまざまな立場の人が集まってがんにまつわる課題を前進させていくCancerXの活動はとても有意義だと感じています。

 そうした活動のなかでは、自分ががんの当事者や家族ではないのに、みんながよりよく生きていける社会にするために、これほどまでにコミットできる人たちがいるんだ、というのが自分にとってはすごく刺激的です。きっかけやモチベーションは違っても、すごい熱量でいろんなことを変えていこうとする人がいることにいつも感動していますね。

イントレプレナーに必要なのは「耐える力」と「甘え力」

——今後の事業展開について教えてください。

水田氏:第2弾の製品を10月1日に発売しました。リンパ浮腫に悩む方に向けたボディ用の保湿クリームです。リンパ浮腫の方は炎症や感染を起こしやすいので、乾燥で肌が荒れることにも気を付けなければいけません。そのため、しっかり保湿する必要があるんですね。

 これも生涯続けなければならないケアの1つですが、毎日のことなので面倒ですし、ストッキングを履く前にも保湿しなければならず、でもクリームを塗るとベタベタして、さらにストッキングが履きにくくなってしまったり……。なんとなく保湿クリームを塗っているけれど、本当にこれでいいのか、という不安の声も少なくありませんでした。そういう困りごともストッキングを開発しているなかから見えてきたので、楽しみながら続けられる保湿ケア製品もつくりたいと考えていました。

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10月には保湿クリームも発売

 ここはまさしく、ポーラ・オルビスグループの化粧品開発や肌に関する知見、リソースなどの強みを生かせる領域でした。忙しい朝にもさっと塗れてベタベタせず、夜にもしっかりとケアできて翌日まで潤いが長続きするなど、リンパ浮腫の方ならではのニーズに合わせて、これまでにグループが開発してきた膨大なスキンケア製品のノウハウを取り入れたものになります。

——そうすると今後の商品展開としては、リンパ浮腫にまつわるところを軸に広げていく感じになるのでしょうか。

水田氏:そうですね。リンパ浮腫にまつわる課題はまだまだ多いですし、やっていきたいこともたくさんあります。私自身、治療から9年間過ごしてきて、着ることのできる服が変化したなかでも、夏はこうしたら涼しく過ごせるとか、こうすればおしゃれに見えるとか、気づきやアイデアを蓄積してきました。当事者1人ひとりが持っているそうしたアイデアを集めたウェブマガジンを、2021年7月にスタートさせました。

 リンパ浮腫に限らず、女性がおしゃれや美しさををあきらめなくてはならず、自分らしくいられないという領域はいっぱいあると思うので、そういうところに1つひとつ取り組んでいきたいです。

齋藤氏:あとは海外、特にアジアから商品についてお問い合わせをいただくことも増えてきました。同じアジア人ならサイズ感が合いやすいだろうと考えて連絡していただけているのかもしれません。海外展開も来年あたりから徐々にチャレンジしていきたいと思っています。

——水田さんと齋藤さんにとって、大企業のなかから起業するイントレプレナーとして必要なこととは、どういうものだと考えていますか。

水田氏:私たちの事業はとても自由度高くやらせてもらっていますが、それでも大企業ならではの通さなければいけないルートや決まりごとはもちろんあります。そういう、きちんと筋を通していかなきゃならない面倒さみたいなことと、何もないところからもがいて体で覚えていくみたいなカオス、その両方を楽しめる……とまでは言わずとも、どちらも耐えながらやり抜く力みたいなものは必要だろうと思っています。

 自分としては、一度死を意識した経験があります。だから、もし人生がこの先も続くのなら、自分だからこそできることに時間を使いたい、ということが原動力になっています。面倒だったり、失敗したりしても、何かを頑張れること自体が幸せだと感じています。

齋藤氏:私の考えでは、イントレプレナーとアントレプレナーは、違うところがいくつかあると思っています。たとえば社外で起業するときは、社会の環境などについて外部に向けたしっかりとしたアンテナが必要ですが、社内ベンチャーだと社内に対するアンテナもすごく大事になってきます。担う責任も社内に対するもの、社会に対する責任の両方とも大事にしなければいけません。

 それにプラスアルファで大事なことが「甘え力」だと思っています。グループや人のいろいろな資産や知見に頼るということですね。ある部署の誰々さんは何に強いから、これについて相談してみようというように、遠慮せずに甘えて、そこでみんなが持っている個々の力を最大限発揮させてもらいながら、私たちも成長する。そういう「甘え力」も大事だろうなと思っています。今までの仕事が疎かだと、社内の信頼感もないでしょうから、甘えさせてもらえないかも。甘え力は、入社してからコツコツ積み上げていくものかもしれないですね。

——ありがとうございました。それでは最後に、水田さんが尊敬する他社のイントレプレナーをご紹介いただけますでしょうか。

水田氏:ブライダル企業ノバレーゼから社内起業された、アンドユー代表の松田愛里さんをおつなぎします。結婚式に参列されるゲストの方向けの、すごくおしゃれなインポート中心のドレスをお手ごろ価格でレンタルできる事業を行っています。結婚式はどんどんおしゃれに、素敵になっていくのに、ゲストの服装だけが何十年も変わらず、なんとなくダサい。そんな課題を見つけて1人で事業を立ち上げられた、とても尊敬している方です。サービス自体もすごく魅力的で、私もしょっちゅう利用しています。

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