インターネットと現代コンピュータの創生に寄与したコンピュータ科学者、Robert Taylor氏が死去した。85歳だった。
パーキンソン病を患っていたTaylor氏は、カリフォルニア州ウッドサイドの自宅で米国時間4月13日に亡くなったと、息子のKurt Taylor氏がNew York Timesに語った。
インターネットの構築には大勢が関わったが、Taylor氏ほど貢献した人物はほとんどいない。1966年に米国防総省の高等研究計画局(ARPA、現DARPA)で研究者として新たな職を得た同氏は、互換性のないコンピュータシステムを通じて研究者たちがやり取りをするのに、3つの異なる端末を使用しなければならないことに不満を感じていた。
解決法は「ARPANET」だった。これは各プロジェクトを互いにリンクさせる単一のコンピュータネットワークで、これが現在インターネットとして広く知られているものに進化した。このネットワークが、将来一般にも必要不可欠なツールとなることを、Taylor氏は正確に予測していた。
Taylor氏は1970年、Xeroxの有名なパロアルト研究所(PARC)に転職し、パーソナルコンピュータのパイオニアとされる「Alto」の設計と開発を監督した。Altoは、GUIベースのOSに対応するよう設計された最初のコンピュータだった。
Taylor氏のチームはまた、ネットワーキング技術のEthernetと、のちに「Microsoft Word」の基礎となった「Bravo」と呼ばれるWYSIWYG(見たままを得られる)のワードプロセッサープログラムも開発した。
Taylor氏はまた、コンピュータマウスの製作にも重要な役割を果たした。1961年に米航空宇宙局(NASA)でプロジェクト管理者として勤めていた当時、スタンフォード研究所(SRI)のコンピュータ科学者Douglas Engelbart氏が実施していた人間およびコンピュータ間のやりとりに関する研究を学んだ。
Taylor氏はこの研究にさらなる資金を投入し、これがコンピュータマウスの誕生につながった。
Taylor氏は1980年代、パロアルトにDigital Equipment Systems Research Laboratoryを設立し、多くの技術とともに検索エンジン「AltaVista」を開発した。これはGoogleが設立される2年前の1995年のことだ。
Taylor氏は1999年、「コンピュータネットワーク、パーソナルコンピュータ、GUIを含む現代コンピューティング技術の開発に先見性をもった指導力を発揮」したとして、全米国家技術賞(National Medal of Technology and Innovation)を受賞した。
Taylor氏および他のPARC研究者たちは2004年、「最初の実践的なネットワーク化されたパーソナルコンピュータ」を開発したとして、全米工学アカデミー(National Academy of Engineering)のドレイパー賞を受賞した。
Taylor氏は1996年に引退していた。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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