瞬く間に日常的インフラへと成長したソーシャルメディア。人々はそのコミュニティでの振る舞いをすんなりと身に付けたようにも見える。
一方で、未だにやや戸惑っているように見えるのが、そこをマーケティングの場として捉えたい企業の側だ。近著「逆パノプティコン社会の到来」で、国家や企業が個人の側から監視されつつある現状を世に示したジョン・キム氏にその手掛かりを伺う。
そもそも「パノプティコン」という概念は18~19世紀からあったもので、日本語では「全展望監視システム」と訳される。円形に配置された独房の真ん中に看守塔が立っていて、そこから独房を見張る仕組みだが、ポイントは「独房の側からは看守塔の中は見えない」というところ。極端に言えば、実は看守塔の中には誰もいなくても機能するシステムなのだ……。
従来の社会は、このパノプティコンのように国家が情報を秘密裏にコントロールし、個人を監視していた。しかし、今はまったくその逆「国家が個人に監視される社会」になりつつある。ウィキリークスやエジプトでのフェイスブック革命もその流れの一部だろう。
そしてこの「逆パノプティコン」は、企業と個人(消費者)においても同じ事が言える。企業の活動やコミュニケーションは常に消費者から監視=モニタリングされる。しかもソーシャルメディアによって連携する個人は決して分断されることなく、Facedbookで情報が共有され、Twitterでものすごい勢いで伝播していく……。企業側にとってはまさに非常にやりにくい時代だ。
この流れの中で、例えばアメリカでは「プライス2.0」という考えがクローズアップされている。従来、価格というものは需要と供給で決定されるものとされ、基本的にひとつだった。しかし現代において価格は、消費者のコンテクスト(文脈)によって変わるものになってきている。季節、タイミング、年齢、性別……etc.によって、“支払ってもいい”値段が違うのだ。
例えばグルーポンのようなサイトを使って、同じ物を違う値段で消費する場合も含まれるだろう。ネットワークを使いこなしている人は安く消費できるが、そうでない人は割高なプライスを支払う……。このようなデジタル/モバイルディバイドの是非に関してはもちろん議論はある。高齢者や機器を扱えない人はどうなるのか、と。しかし、資本主義の中で生きている我々にとって、この大きなトレンドは止めようのないものだ。
では、これから企業はどのようなパーソナリティを持って、どのような態度で消費者と付き合っていくべきなのか。
これからは商品開発からマーケティングに至るまで、すべての段階で上手く関係を保たないと、消費者とは断絶してしまうだろう。これはほぼすべての産業に波及するだろうし、特にB to Cにおいては、製品以外のコンテンツ、体験、サービスといったものに関する演出がより求められることになる。
そのためには、従来のような「上から目線」でも、「媚びた下から目線」でもなく、消費者に「エンゲージング」させる姿勢が望ましい。上から目線の提案が希少な可能性を生んでヒットにつながる可能性も無くはない。が、上からでも下からでもなく「コラボ」していく方法が本筋。例えば商品開発に関わらせることで「自分のモノ」という意識が生まれ、消費者自身が自発的に広報になってくれるかもしれない。そのように企業と消費者が同じ目線で共同・相乗していく流れを作ることが大切になるはずだ。
会社で企画を通そうと思ったらまず事前に上司に根回しをしておくとか、論文を書く時にも先生のところに一回行っておいて意見をフィードバックさせるとか……そうすることで「プロセスを共有している」という意識を持たせることができるからである。
今まで「上と下」は分断されていた。しかしソーシャルメディア等の出現によって、個々人は監視・モニタリングに必要な知識や経験を補うことができるようになってきた。そしていつしか自分独自の複合的な視点を持つようになる。こういう流れが形成されると、企業側は今までのような一方的な発信ができなくなり、イマジネーション操作もできない。完全な「透明化社会」を前提とした活動にシフトしていかざるを得ないのである。
もちろん、そのようなモニタリング意識のない人々は依然として「マスメディアが言ってたから」と単純な判断を繰り返すことになるのだが……。
*この記事はキャビネッツドゥロワーズ「The Social Insight Updater」からの転載です。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」