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エシカル消費が自己表現?の呪縛から逃れるための条件

フローリアン・コールバッハ(German Institute for Japanese Studies Tokyo 副所長)2011年07月03日 06時00分
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正義を消化してしまう日本流プラクティカル

 まず我々が定義しているエシカル・コンサンプション(消費)とは「環境に配慮された」「ソーシャルに正しい」「サスティナブルな」商品を自律的に選択するというスタイルのこと。実はこの分野は世界的にもまだほとんど調査実績や文献がなく、当研究所でも2009年に研究プロジェクトを立ち上げ、2010年にようやくイギリス、ドイツ、日本、ハンガリーの4カ国共同で調査(定量)を実施したばかりだ。

 基本的には、エシカルという言葉自体の認知が高い国では、それに比例してフェアトレード等への問題意識も高い。ダントツに先進国なのはイギリスで、消費者の中に完全に定着している。パブのフィッシュ&チップスにも「サスティナブルフィッシュ使用」などと書いてあったりする。だが、欧米各国や日本でも関心度の伸び率は高く、次第に世界中で共有化されつつあるようだ。

 ただどの国にも、正しいとされる行いに関してはやはり「本音と建前」が存在する。徹底したゴミ分別で話題になることが多いドイツでも然り。実はみんなけっこう飽きてきている。この間ドイツに帰った時も、母親が「もう面倒だから分別はヤメた!」と…。アメリカではもうちょっと正直に、世間のエコ合唱にやや辟易した人達がそれを「Green Noise」と言い出している。

 言ってみれば「サスティナビリティ志向が一過性の流行に終わり、サスティナブルでなくなってしまう」という何とも皮肉な状況もあるのだ。

 では、ここ日本においてはどうか。例えば日本で「エコ」はしばしば「エコノミー(節約)」と同義で語られることが多かった。その代表的なものがエコポイントだろう。テレビをもっと大きいもの(!)に買い替えるとより高いポイントが付く・・。これはもちろんエコとは思えないし、欧米ではエコ施策の範疇としては捉えられないものだろう。あるいは笑い話としても通用する。

 しかしこのような方法は逆に、欧米には考えつかない日本特有の知恵であるとも言える。エコという本来はストイックな概念を自国に取り込む時、日本人は(様々な外来文化を日本流にアレンジして見事に取り込んでしまったように)それをモチベーションを持って受け入れるためにメリットを付加し、より「プラクティカル」な方法を取ったのだ。消費者の心の中で「エコ」と「エコノミー」をプラクティカルに統合し得たのは日本だけだと言ってもいい。

社会的なゴールはエシカルの「踏み絵化」?

 そもそも、先に行った定量調査だけでは把握できない、あるいは対面調査においても言ってくれるかどうか分からないのが、「エシカル」に対する個々人の本音だろう。ある人がエシカルを基準に商品を選択する時、そこにあるのは本当に正義なのか、自己満足なのか、あるいは「良い行いをしているワタシ」という自己表現ツール化なのか。一方で社会の中に、そこに偽善的な匂いを感じる空気が残る可能性はないのか…消費の対象であるからには、その疑念はどこまでも残ることになる。

 そこで必要となるのは、現在「消費者」サイドにだけ焦点があたっているエシカル志向に、「商品提供者=企業」の視点や役割も付加していくことであるように思う。「エシカルor非エシカル」という選択肢が常にあることが重要なのであり、そのためには商品計画時にエシカルとして成立させ得るCo2処理などのコストまでを原価として織り込むこと。その上で生産ロットを増やして単価を下げ、流通量を増やすこと。そのようにして高コストが解消され、やがて市場において「非エシカル商品」が非常に珍しい(!)存在になれば、状況は変わるのではないだろうか。

 そうなれば「私はエシカル消費をする正しい人!」といった自己表現にはほとんど寄与しなくなる。そしてむしろ逆に目立ってくるのが“そうでない人”へのプレッシャーかもしれない。

 想像してみて欲しい。「今日はちょっと仕方がないから非エシカルでもいっか…」と商品を手に取った瞬間、周囲から冷たい視線が注がれ、後ろ指を指される…果たしてそんな日が来るのだろうか。

*この記事はキャビネッツドゥロワーズ「The Social Insight Updater」からの転載です。

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