誰もが認める事業を自らの手で―サイボウズ創業者が示した世界を目指す者の条件(第3回: 高須賀宣) - (page 2)

--入社5年目のその頃から「経営」というものを意識し始めたのでしょうか?

 技術バカだった僕に経営という視点を学ばせてくれたのが、94年頃の経営企画室のプロジェクトでした。それは、役員の意思決定プロセスをもっと早く、精度を高くするシステムを作るというプロジェクトで、ネットワークの技術分野で成果を出せていたこともあり、僕がそこに選出されたんですね。これが転機となりました。

 今まで「経営」という言葉は自分にとって遠かったものが、ものすごい近くになった時に「なるほど、こういうものか!結局は人間がやっていることなんだ」と認識しました。今まで天上人のような存在だったものが、一気に縮まった感覚を得ましたね。

-−そのプロジェクトに参画する事で「経営」を意識した後、「自分でもやれる」と思うようになったのでしょうか?

 いや 単に「面白い!」と思ったんです。それまでは、「技術の世界の中で、すごい技術を」という思いだけでしたが、プロジェクト参画後は「ビジネスの中で凄い技術を!」と意識するようになりました。松下電器グループの創業者である松下幸之助さんの考え方に興味を持つようになったのもこのころです。

--さて、「経営」を身近に感じ始めた後、社内ベンチャー制度を利用して事業を立ち上げようとし、結果、会社を辞めサイボウズを立ち上げるに至ります。設立当初は給料が払えない時代もあったというほど苦労されていますが、そのころの心境を教えて下さい。

 これは3人の中で合意があったのですが、払えなかったわけではありません。払えるのに払っていなかっただけなのです。使えるお金は給料をケチってでもその多くを広告宣伝費へ回していきました。ただ半年経った後は、皆銀行の預金が底を尽いたので払うようになりましたけどね。

--苦労して立ち上げたサイボウズ。成長していく中で、社長を辞め会長になるか辞めるかという転機が訪れるわけですが、この頃のご自身のモチベーションにはどのような変化があったのでしょうか?

 その話を語るにはまずここから話さなければなりません。

 僕がすごく感動したパンフレットがあります。それは80年代のアップルコンピュータ(現アップル)のパンフレットで、一枚めくると月の上を歩く人の写真と「Moon Walker」という言葉。次のページにはジョン・レノン氏とオノヨーコさんの2ショットの写真と「Lovers」という言葉。次のページにアインシュタインと「Questionner」。凄いカッコいいと思いました。言葉一つがその人の人生の代名詞となっているんですから。

 それから、そのような「○○と言えば××」というような代名詞となるサービスや企業を、自分の手で作りたいと思うようになったんです。

 例えば、今では世界の誰に聞いても、データベースといえばOracle、検索といえばGoogleですよね。サイボウズを立ち上げた頃は、「グループウェアといえばサイボウズ」が目標でした。

 それが、アメリカやオーストラリアといった海外への進出の過程で「海外に通じない」と感じるようにました。この時点でモチベーションは半分以下に落ちてしまったんです。その後買収戦略を練り、1年半ほど動き回りましたが、やはり僕にはそういった経営戦略は性に合わなくて、結局自分の中で消化不良を起こしましたね。

--「世界に通じない」という限界に対する思いが辞めた大きな原因ですか?

 それもあります。しかし、そんな一番気持ちが落ちている時に松下時代の先輩に会って、目の前にあるきっかけが転がってきたんです。絶妙のタイミングで。そこに大きな起業機会を感じました。そうしたら、頭のスイッチが切り替わってしまい、今度は「世界の人が『○○と言えばLUNARR』と認めてくれるサービスを展開する」という思いで胸がいっぱいになりました。

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